筑波大学現代視覚文化研究会レビュー班 公式ブログ

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きっと東雲めぐはこれからも生き続けるのだろう。

0.まえがき

 げんしけんレビュー班のほるかすです。
 この記事は、自分が3年前からずっと推している東雲めぐさんへの雑多な考えを書き綴るだけのものとなっておりますが、VTuberのメタ的な部分、所謂中の人や魂といった部分の話が含まれておりますので苦手な方はブラウザバックをお願い致します。
 また、本文において敬称を省略している部分がありますがご了承ください。

1.東雲めぐとは

 Vtuber にカテゴライズされるであろうバーチャルタレントです。(ここで若干歯切れが悪いのは後述)
www.youtube.com

 東京にある日和丘高等学校(架空)に在学中の高校3年生で、曲や絵本を出したり、歌のお姉さんやアンバサダー、イベントMCをしたり、VRライブ・ミュージカルに出演したりと非常にマルチに活動しています。(書ききれないから是非調べてみてください……)

 活動開始時期は2018年3月1日で、今では珍しく(?)Vtuber 黎明期からコンスタントに活動を続けているVtuber の1人でもあります。
 Youtubeチャンネル登録者数は約4万人と決して多くはありませんが、熱心なファンと丁寧な運営、当人の活動スタイルやマルチな才能も相まって、今もなおその活動は留まるところを知らず、現存するVtuber の中ではかなりうまくいってる部類に入っていると思います(というか、上手くいっていて欲しい。もし違うならもっとお布施頑張ります!!!)

2.東雲めぐはVtuberなのだろうか  

2.1.Vtuberの定義

 本題に入る前に、まずはVtuber という言葉の定義からさせてもらいます。と言ってもこれに関しては様々な言説が存在しており、話し出せばキリがないので、ここでは一旦Vtuber という言葉をシンプルに

バーチャルYouTuber(バーチャルユーチューバー、英: virtual YouTuber)は日本発祥の、コンピュータグラフィックスのキャラクター(アバター)、またキャラクター(アバター)を用いてYouTuberとして動画投稿・配信を行う人。また、その文化。通称、VTuberVチューバー(ブイチューバー)。
*Wikipedia引用(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%ABYouTuber

と定義します。また、Wikipediaでは配信プラットフォームをYoutubeに限定していますが、それ以外のプラットフォームを利用している人に関してもここではVtuberと一括りに呼ぶことにします。

 そして、皆さんお察しの通り、この定義において「東雲めぐ」は間違いなくVtuber ということになります。

 実際問題として、自分が東雲めぐを他人に説明する際には、「東雲めぐはVtuber である」と説明しますし、東雲めぐのファンの中でも「東雲めぐはVtuber である」と言われて絶対にそれは違うと言い切れる人はいないと思います(もしいらっしゃったら考えをお聞きしたいです)。

 しかし、自分は2つの理由から「東雲めぐはVtuber である」とは言いたくないです。注意して頂きたいのは、自分は「東雲めぐがVtuber ではない」と主張したいのではなく、あくまで「東雲めぐはVtuber である」という事実を認めた上で、「東雲めぐをVtuber ではない」という考えを楽しみたいのです。
 それでは、順に説明します。

2.2.東雲めぐは中の人である

 東雲めぐについてあまり詳しくない人にとっては混乱するかもしれませんが、東雲めぐはある意味ではVtuberであり、またある意味ではVtuberを演じる中の人でもあります
 Vtuberについて考える際にそこに存在するレイヤーは通常2つ(中の人とCGキャラ)だと思うのですが、東雲めぐの場合にはそれが3つになります。
 その3つについて順に説明します。

①東雲めぐを演じる中の人
 我々が生きる3次元空間上の東雲めぐを演じる人物のことです。(ここで言う中の人というのは必ずしも演者1人のことを指すわけではないのですが、本筋と関係ないのでその話はまたどこかで。とりあえず、演者のことだと思っていただいて大丈夫です。)
②高校3年生の女の子としての東雲めぐ
 おそらく、一番皆さんが知っているであろうフォルムの時の東雲めぐのことです。最もこれがスタンダードな東雲めぐであり、自分が「東雲めぐはVtuber である」とは言いたくないといった東雲めぐもこのレイヤーの東雲めぐに対してのものです。このレイヤーの東雲めぐは自身のことを「Vtuber である」と公言したことはありません。 また、彼女はこの姿で他のVtuber とコラボすることはまずありません(一部例外あり)。

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高校3年生の女の子としての東雲めぐ(https://youtu.be/AJFJsKMqTE0)
③高校3年生の女の子としての東雲めぐが演じる、バーチャルYoutuber東雲めぐ
 このレイヤーにおいて東雲めぐは自身のことを「Vtuber である」と公言しており、他のVtuber とコラボするときにはこの姿で登場します。また、最近では2Dの東雲めぐも登場しましたが、それもこのレイヤーの東雲めぐです。
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②と比べて目の違いが特徴的(https://youtu.be/cL4wIlq5R4w)
 面白いのが②の存在です。通常のVtuberの場合存在するレイヤーは①(魂)と③(ガワ)で完結しています。しかし、東雲めぐの場合には、その間に②が存在しており、③を演じる②を演じる①という関係になっています。①と②または②と③の関係性は他のVtuberのものと変わりありませんが、①と②と③という一つの繋がりで見たときに②の東雲めぐはVtuberであり中の人であるという不思議な存在となるのです。

 その意味で、③の東雲めぐをVtuberと呼ぶ都合上②の東雲めぐとは区別する必要があるため便宜上②の「東雲めぐはVtuber である」とは言いたくないと自分は思っています。

2.3.東雲めぐはこの世で生きている

 1つ目の理由と被る部分も多いのですが、もう1つの理由としては東雲めぐのコンセプトである「普通の高校生の女の子」という設定を自分自身が楽しみたいからです。
 1つ目の理由で述べたように、②の東雲めぐは自身を「Vtuberである」とは思っていません(①の東雲めぐがそういう風に演じている)。そして、我々視聴者が②の東雲めぐはVtuberではないと見方に立った時、非常に面白いことが起こります。
 というのは、一般的にVtuberにとって中の人がバレることはタブーとされています。しかし、東雲めぐの場合、③の東雲めぐをVtuber とすると②の東雲めぐは中の人であり視聴者に中の人がバレていることになります。③の東雲めぐの配信を見ている時、我々視聴者は③を演じる②の存在を意識しながら見ることになり、これにより②の東雲めぐはあたかも現実の存在であると錯覚するようになります。
 個人的にこの感覚は、俗にいう後方彼氏面に近いものなのではないかと思っています。「普通の高校生が顔出し配信を始め、時として色んなVtuber交流し頑張っていく」様子は全てを知った(気でいる)オタクにとっては最高にニヤニヤできる状況です。この状況を楽しむために視聴者側は「②の東雲めぐはVtuberではない」という考えをする必要があり、それ故に自分は「東雲めぐはVtuberである」とは言いたくないです。

3.彼女は非サザエさん時空にいる

 時間の経過の概念は存在しているのに、キャラクターが年を取らないことを国民的アニメ『サザエさん』を由来としてサザエさん時空と言ったりします。Vtuberもこのサザエさん時空を採用しているVtuberが圧倒的に多いです。代表的な例で言うと、月ノ美兎でしょうか。月ノ美兎は毎年16歳の誕生日を迎える永遠の高校2年生です(実は過去にサザエさん時空を脱したときもあるが)。
 反対に、東雲めぐは我々と同じ時間軸で年齢を重ねていきます。実際、配信を始めた2018年当初は15歳の中学3年生だったのが現在では18歳の高校3年生です。Vtuberに限らずオタクコンテンツにおいて、女子高生というジャンルに一定の人気がある以上、東雲めぐがこれから急にサザエさん時空に入り永遠の女子高生となる可能性もゼロではありませんが、東雲めぐのコンセプトとこれまでの活動の様子からその可能性は限りなく低いでしょう。
 サザエさん時空とそうでないVtuber、どちらにも利点があると思うのですが、”我々の生身の人間が生きる世界に存在している”東雲めぐにおいてはサザエさん時空を採用しなかったのはまさに英断であったと言えます。

4.東雲めぐは生き続ける

4.1.Vtuberにとっての生

 Vtuberにとっての死とは何でしょうか?
 一般的には「引退」=「死」とする考えや、誰かの記憶、心に残り続ける限りVtuberの完全な死はありえないという考えが多いような気がします。

 実はこの質問、先々代のげんしけんレビュー班班長であるアマミさんにされたことがあるのですがその時もそして今も自分は明確な答えを持ち合わせていません。
 しかし、一般的なVtuberの死の定義から逆説的に「引退を表明していないVtuberは死んではいない」ということは少なくとも言えると思います。
 ここからさらに踏み込んで、「死んではいない」=「生きている」と言ってしまっていいかは意見が分かれるところではありますが、自分は個人的願望を込めて「引退を表明していないVtuberは生きている」という考えを持っています(音信不通の友達がいても生きていると思っていたいみたいな感情に近い気がします。違うかな笑)。

4.2.人間にとっての生

 では、次に我々3次元世界にいる生身の人間の生についてです。
 別に宗教的な話をしたいわけではないので、これについてはシンプルに「脳の機能が完全に停止し、蘇生不能な状態に陥っていない」ことを生の定義とします。

4.3.東雲めぐにとっての生

 先に述べたようにVtuberの生の十分条件は「引退を表明していないこと」でした。これを東雲めぐに当てはめるとどうなるでしょう。
 まず、2.2節で述べた③の東雲めぐについてですが、③の東雲めぐは間違くなくVtuberであるので他のVtuberと同じく、生の条件は「引退を表明していないこと」です。  次に②の東雲めぐに関してです。この東雲めぐはVtuberであり、我々生身の人間でもあるという状態にあります。
 この状態において、彼女はデジタルの体であるがゆえに「脳の機能が完全に停止し、蘇生不能な状態に陥る」ことはなく、 生身の体であるがゆえに「東雲めぐを引退する」ことはありません

 「東雲めぐを引退する」という表現について少し補足します。「ゆうこりん」の愛称で親しまれたタレント「小倉優子」ですが、小倉優子にとって「ゆうこりん」は演じるべき「ガワ」でした。しかし、小倉優子にとって「小倉優子」は自分そのものであり、決して演じているものではありません(人は誰しも仮面をかぶっているみたいな話は置いといて)。小倉優子は「ゆうこりん」を引退することはあっても小倉優子自体を引退することはありません(芸能界引退はするかもですが)。同様に、②の東雲めぐにとって③の東雲めぐは演じるべき「ガワ」ですが、②の東雲めぐにとって「②の東雲めぐ」は自分そのものであり、決してそれは演じられたものではありません。従って、②の東雲めぐを”我々の生身の人間が生きる世界に存在している”と考えたとき、東雲めぐは引退することはないと考えられるでしょう。

 勿論、②の東雲めぐが配信をやめる時は来るかもしれません。それでも、東雲めぐは我々と同じ世界で生き続けるのです。

5.きっと、彼女は生き続けるのだろう。

 ここまで読んでくださった皆さん本当にありがとうございます。ここからは、東雲めぐの成長と将来を想って自分が感傷に浸るだけの内容なので気楽に読んでもらえると幸いです。
 3章にて、東雲めぐは非サザエさん時空にいると述べました。彼女が配信を始めてから今年で3年になりますがこの間にも彼女の成長を感じることがありました。
 開始当初は何をするのにも精いっぱいな彼女が、今では事務所の先輩という立場になりフォローしている様、自分の夢をどんどん実現させていく様を見ていると娘の成長を見ているようで本当に嬉しくなります。

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左が幼少期イラスト(https://twitter.com/choco_ikarashi/status/1002856570470854656/photo/1)右が水着イラスト(https://twitter.com/megu_shinonome/status/1298949993177341953/photo/1)。成長したなぁ……

 彼女は、現在高校3年生です。今年で高校生を卒業し、大学生になるのか社会人になるのかそれは自分にはわかりませんが、きっと「東雲めぐ」が悩み選択していくことになるのでしょう。
  いつの日か、彼女は恋を知るのでしょうか。
  その時は配信で視聴者に教えてくれるでしょうか。
  それともいきなり結婚報告するのでしょうか。
  そもそも、大人になってまで配信を続けているのでしょうか。
  配信者をやめた後10年後に突然復活するかもしれません。

 僕には、これからの彼女がどうなるのか全く分かりません。ですが、彼女の人生がこれからも続くのだということだけはわかります。そして、そう信じられることが東雲めぐの凄さであり、自分が東雲めぐを大好きな理由です。

 どうか東雲めぐのこれからに幸多からんことを