筑波大学現代視覚文化研究会レビュー班 公式ブログ

筑波大学現代視覚文化研究会レビュー班の公式ブログです。

新年のご挨拶・冬小冊子の公開

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
筑波大学現代視覚文化研究会、レビュー班です。
早いもので2021年となってもうすぐ1ヶ月ということに驚いております。2020年という年が本当に存在したのか記憶が曖昧なのですが、ボーッとしているとさらに1年消し飛んでしまいそうに思えますので、なんとか今やれることをやっていこう、と思っております。

さて、現視研では毎年コミックーマーケットに参加しており、我々レビュー班も班独自の小冊子を刊行してまいりましたが、昨年は新型コロナウイルス感染症の拡大によりコミックマーケットが開催されませんでした。夏の冊子は「ComicVket」に参加することにより頒布することができましたが、冬は諸般の事情により冊子を出す機会に恵まれませんでした。

……というわけで、今シーズンの小冊子はpdfとして公開いたします。以下のリンクよりご覧いただけますので、よろしくお願いいたします。

drive.google.com

なお、今回のタイトルは従来の『キモオタ (西暦年)Winter』ではなく、『キモオタ 2021 January』といたしました。これは、冊子刊行の機会に今後も変更がある可能性や、これまで年4回としてきた刊行を増やし、活動を拡大することを考慮すると、季節名を付して季刊の体をとることは不適切だと考えられるためです(たとえば、例年通り春の新歓期に『Spring』というタイトルで刊行してしまうと、2021年は5月に開催予定のコミックマーケットに、どんなタイトルで出したらよいかわかりません。ここに無理矢理『Summer』として出してしまうと、仮に7・8月頃に刊行したい、となった場合にタイトルがありません)。したがって、月の名前を付してはいるものの、必ずしも月刊になるということではありませんので、ご承知おきください。

それでは、みなさまのご健康とご多幸をお祈りして、新年のご挨拶と代えさせていただきます。

暗号化された日記帳を解読し、著者の過去に迫る 「The Wake : Mourning Father, Mourning Mother」レビュー

はじめに

 お久しぶりです。筑波大学現代視覚文化研究会レビュー班のRitoと申します。
 以前このような音声作品のレビューを書いた者です。

 今回は、インディーズゲーム「The Wake : Mourning Father, Mourning Mother」を紹介したいと思います。

ゲーム内容

 このゲームは、「Replica」や「Legal Dungeon」を制作したSomi氏による最新作。 プレイヤーは、パタパタ時計のような日記帳の、ところどころ暗号化されているページを読めるように復号しながら読み進め、日記帳の内容に近づいていく。

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日記帳の1ページ。左のダイヤルがページ送りになっており、パタパタと切り替わる。

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暗号化されたページ。このままでは内容を読み取ることはできないだろう。

 暗号を解読する、と聞くと非常に難しいゲームに思えるかもしれないが、実際のところはそこまで難しくない。章ごとにメモが印刷されヒントをくれるほか、暗号を解きやすくする道具もいくつか存在する。さらに言えば、アルファベット26文字全ての変換を当てる必要も無い。5文字分変換をすればあとは自動で日記帳が変換してくれる。
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エニグマ暗号機のプラグボードのような部分を開き、変換元と変換先をプラグでつなぐことで変換を示す。

 変換に成功すると日記が読めるようになり、物語が進んでいく。そこまで難易度の高くない暗号ではあるものの、意味不明だった文字の羅列がきれいな文章になるのはとても気持ちが良い。

 日記帳には、著者の祖父の葬儀が行われた数日間が描かれている。そこには著者と父母や親族との関係が、いくつかのエピソードを交えて綴られており、読み進めていくうちに著者や父母の過去が明らかになっていく。少しづつ著者や周辺人物の複雑な感情が伝わってくる感覚は、ゲームシステムも相まって非常にノベルゲーム的といえるだろう。

まとめ

 最後に述べた通り、ノベルゲームやADVが好きな方には非常におすすめできる作品。プレイ後は、小説(というよりかは映画かもしれない)を一本読んだような満足感がある。 また520円と安価なので、少しでも興味があれば買ってみてほしい。ただ、歯ごたえのあるパズルを求めていると拍子抜けかもしれない。  もし先に紹介したSomi氏の2作に興味があれば、Steamでのバンドル販売もあるのでよりお得だ。

 この記事を読んで、このゲームに興味を持ってもらえれば嬉しい限り。

store.steampowered.com

(※画像は全て自前のスクリーンショットを用いています。)

京アニのFAZZ『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』レビュー

京アニFAZZ『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 レビュー」

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【引用元:

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

公式twitter  https://twitter.com/Violet_Letter
 

 本作は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の総締めとして京都アニメーションにて制作された。
 この映画を端的に評価するとすれば、「とにもかくにも登場人物たちに甘い選択肢を取らせてくれる、パワー型感動作品」といえる。これについては少々⾧くなるため最後に述べるとして、演出面等々の評価を先んじて述べておくとする。
※本レビューにはネタバレが含まれます。

演出
 非常に良い。作画由来の美麗な世界観・キャラクターの表情がメリハリのある SE・BGMによってより強調されている。構成要素としては非常に素晴らしい。が、反面暗い部分があまりにも暗すぎるため、あまりに見にくく、“劇場版”つまりは映画館で放映するという条件に合っていない等々粗が目立つ(本来はブルーレイでの修正でやること)。また、演出が良い反面、後述する構成等々がよろしくないため安易なお涙頂戴もののような印象を与える。「絵と音で泣かせる映画」と言われてしまうとぐうの音も出ない。

作画
 昨今の京都アニメーションのクオリティは安定しており、眼福であった。特に今作は自然物を描くことがシナリオ上役割が大きく、それを描き切ったことは手放しに称賛したい。個人的には雨の描き方の巧みさ・力強さ故に「悲しい+雨」という典型にも新鮮さが大なり小なりあったものと思う。ただ、淡さのあるヴァイオレットの絵が個人的には好きだったのでもっと増やして欲しいとも思った。

声優陣の演技
 やはり最終章ということもあり、声優に対する要求も高まってくるのは当然であるが、主人公から端役にいたるまで演出・作画に負けない演技を拝見することができた。特にヴァイオレットとギルベルト、ホッジンズの三人は“静と動”をキッチリさせることが極めて重要となるため、前者二名は「悲哀」そしてホッジンズは「怒り」を要所に叩き込む必要があった。
 さらに言えば、作品柄においては“やるせなさ”を強く描く観点上、うじうじとため込んだ状態から感情を爆発させるという同じ感情の違う表現が欲されたが、各キャストはしっかりとその任を果たしたのである。ユリス役には水橋かおり氏と、配役も良いものであった。ただ、本作において特に賞賛したい人物が他にいる。それは、ディートフリート・ブーゲンビリア(CV:木内秀信)である。この人物、非常に厄介な面があるのだ。
 というのも、始めの 3 人がうじうじとしながらも“静と動”を持っていた反面、彼だけは“静”の状態のみを背負わされたキャラクターである。
 初登場は冷徹な軍人であり、基本スタンスは物静かな人物だ。ヴァイオレットとの再会後についても、自身の負い目やギルベルトへの想いがある故、彼に依存するヴァイオレットに強い態度をだせない、あるいはしおらしさがでてしまう。どの方向を向いても“動”から遠ざかってしまう人間だ。したがって、ギルベルトとの再会時には色々な感情があったものの元来の性格と状況によって声を荒げることすら出来なかったわけであるが、これを木内氏の絶妙な演技によって表現し切ることに成功している。
 彼については脚本等でも述べることに加えて、今回から「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」における筆者の推しキャラとなったため、バンバン売り込む所存である。

 

構成・シナリオ
 問題はここである。『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、とにもかくにも素材が良い反面、活かせていなさ加減が目に余る。描写不足も多い。
 良い点については、手紙と電話の対比を描いたことなどがある。

複数のストーリーラインを扱えていない
 「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はヴァイオレットたちを描く本筋とは別に、以前に登場したアンの孫デイジーがヴァイオレットの旅路を紐解こうとする、スタート兼締めを担当するスト―リーが描かれる。加えて、ヴァイオレットの依頼主であるユリスも一応ではあるが別口に話が進行していく面がある。
 第一に、デイジーの話はヴァイオレットの足跡を辿っていくという基本コンセプトがある。しかし、それがやたらと少ない。映画内で彼女のストーリーは完結するから仕方ないともいえるが、最初から映画で締めるつもりであるならばテレビ放送→映画を股にかけさせれば良いはずだ。
例えば、

テレビ放送
私はある人を追っている。彼女の名前はそう、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン
→ヴァイオレットのスト―リーの節々の入るデイジーの旅→
劇場版
デイジーの旅の理由
→博物館→島
でも良かったのではないだろうか。

 本作品ではデイジーの訪れる地点・描写の少なさのせいで小休止のような役割が果たせず、強引な挿入が目立つ。また、デイジーの物語自体も描写不足により登場する人物の想いが分かりにくい(母の「子を思う気持ちの描写」がないのは致命的か)。こういった点から、あってもなくても誰も気にしない内容であった。
 次に、ユリスのエピソードである。ネット上では「ユリスで泣いたけど別にやっても良かった」等の感想が見受けられる。しかし、違う、そうじゃない。
 ユリスのストーリーが別で良かったと思うのは、ユリスの話が自己完結してしまったからである。作中、ヴァイオレットにはユリスのもとに向かうか、否か(ギルベルトを優先するか)の選択(可能かは別の話)が発生する。実際のところは電話を用いため、ユリスの案件が勝手に解決してしまうわけで、ヴァイオレットはギルベルトに専念可能となった。これが問題なのだ。
 このシーンはユリスというキャラクターの持つ、作中での屈指の盛り上げ場である。しかし、肝心の主人公ヴァイオレットが蚊帳の外だ。別々のストーリーラインが各々完結することは珍しくも何ともないことだが、それは物語同士が絡み合い干渉しあうという前提が存在してこそで、間違っても完全独立してはいけない。ことユリスにいたってはヴァイオレットに色々な想いを吐露したのにも反して、最後にヴァイオレットはどうしているのか、を問う以外にヴァイオレットの存在を感じさせない。つまり、ヴァイオレットは居てもいなくても問題がないのである。本来は、ここにヴァイオレット自身からのアプローチあるいは、指切りを含めたヴァイオレットとの関わり合いの回想を一瞬入れ、ヴァイオレットへ激励するといった流れが加えられることで同時進行のストーリーをキッチリ嚙み合わせる必要がある。それがないために共に完結に向かうのではなく、「各自」終わるだけなのだ。ヴァイオレットが主人公であるのにもかかわらず、だ。仮にも「ボーイミーツガール」なのだから、互いの出会いが互いの変化に寄与しなければならない。
 言ってしまえば、ユリスには「描写」が、ヴァイオレットには「変化」がない。これが「別々でも良かった」と思う原因である(あるいは、ユリスがアンのエピソードの二番煎じの域を完全に脱することが出来ていないのも理由の一つか)。

キャラクターの直面する壁がない
 本作においてとりわけ感じたのは、登場人物に対して辛い選択肢を取らせない点である。ここではキャラクター別にその点を批判したい。
※「親離れ・子離れ」といった要素を意識して欲しい。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン
問題点:せっかく用意された二つの選択肢の片方が勝手に解決
 前述したようにヴァイオレットには(できるかは問わず)二つの選択肢が用意された。「ユリス」をとるか、「ギルベルト」をとるかである。したがって、ヴァイオレットは苦渋の決断を迫られたわけだ。仕事もギルベルトも大切に出来るヴァイオレットには辛いハズだが、本作ではユリスをギルベルトからの逃避先としてしか用いていない。ただ、これについては周囲の大人(該当者 1 名)が強く出なかった点も大きい。両取りをするならばもっと良いやり方(後述)があったはずだ。
 とりわけこの作品の締めには、価値判断の依存脱却、つまりは「親離れ」をすることで一人の人間としてのギルベルトを愛“する”(恋をするニュアンスに近い)ことが肝となるわけだが障害もないために、なんとなくなあなあで終わった印象が強い。成長のわかる言動を肝心のギルベルトに対しては終止発揮できていないのは、成長物語の終幕として如何なものか。

 

クラウディア・ホッジンズ
問題点:「親」を意識しておきながらヴァイオレットに終止甘すぎる
 ホッジンズは劇中でギルベルトに対して声を荒げた。子安氏の演技の迫力に肌を震わせたものだが、問題は怒りを露にする対象、内容である。要はギルベルト一人に「馬鹿野郎」のみでは意味がないのだ。

 実はこのシーン、振り返ってみると、
相思相愛の状態の女の子の告白→男はうじうじ→女の子は泣いて逃げる
→友人「馬鹿野郎!」である。
 このことからも分かるが、彼にはヴァイオレットとギルベルトに発破をかける役割がある。しかし、主人公ヴァイオレットにはとことん甘いのである。
 ここにおいて彼に求められるのは、選択を「迫る」行為だ。ヴァイオレットに「嵐だから行くのは無理だ」などを言うことではない。「過保護」と称される男に、娘のような存在に対して酷な選択をさせる、という辛い決断(つまりは"子離れ”)が必要であると言っている。
 苦しいことだからこそ、成⾧し乗り越える必要と価値が出てくる。大切だからこそ、逃げ出そうとするヴァイオレット、そしてそのヴァイオレットから逃げようとするギルベルトを一喝しなければならない。本作ではそういった辛い役回りを何故かとらせない。そして、とらせないからこそヴァイオレットの選択肢は自然消滅してしまうという流れに落ち着いた。要するにヴァイオレットの意志が事態を動かす契機がないのである。重ねて述べるが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の主人公はヴァイオレットである。ギルベルトだけに怒りを露にしても本作は『劇場版ギルベルト・ブーゲンビリア』ではないのだ。
 個人的には、荒ぶるホッジンズ演じる子安氏が輝くシーンで魅せて、後日談において「息子でも娘でも自分は保たない」フラグを男女の双子が産まれることで回収してくれることを望んでいた。
 ここからは逆に重荷を背負った人物。

○ディートフリート・ブーゲンビリア
特徴:自己完結型人生ハードモード
 彼には辛いことが続いた。弟への負い目、弟の死と向き合うこと、自身の罪と向き合うこと、死んだと思われた弟との再会(調査も担当)、大切に想う(精神がボロボロの)弟を非難し発破をかけること、これだけある。そして、その結果として弟に己の人生を生きさせ、自身は反発していた「家」を継ぐことを決心する。制作上ではもしかしたらヴァイオレットにホッジンズ、ギルベルトにディートフリートという対比をとったのかもしれないが、ご覧のあり様だ。ちなみにディートフリートの言葉は最後の一押しであり、本来ギルベルトを変える言葉としては位置付けられない。ギルベルトに必要なのは、ヴァイオレットへの罪の意識はギルベルトが勝手に背負っているだけのもので当の本人は気にしてなどいない、と気付くことである。それを踏まえると、「愛している」以外の話題から離れないヴァイオレットも含めて肝心な要素が劇中一切解決していないのである。やっていることが主張の銃撃戦でもあったりなかったり。本当に向き合っているのか怪しい限りだ。
 もしもディートフリートにヴァイオレットに対して「お前は結局、弟の道具で“あり”続けるのだな……。少しは自分の言葉で話してみろ」とでも言わせてみれば、覚悟ガチガチの鉄心ヴァイオレットが見られたのかもしれない。とにもかくにも筆者個人はディートフリートこそが主人公ではないかと感じた。『劇場版ディートフリート・ブーゲンビリア

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【引用元:『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト】

 

「指切り」の使いどころの無理矢理感
 今作では「指切り」が象徴的に使われた。そして、指切りをする二人を最後に物語は完結する。しかし、だ。指切りとは約束、つまりは事前に行うものである。したがって、指切りのみを見せるならば相応に手順を要する。
 そこで重要な転換点となるのがヴァイオレットとギルベルトが月下で向き合うシーンだ。正直なところ、面会させてどうする。ヴァイオレットが海に飛び込むのは良いが、後の再会を狙うならば、海中のヴァイオレット&崖の上のギルベルトを最終ポジションとすべきであろう。肉体的接触は、やはり言葉での接触を上回る位置付けにある。したがって、扉越しや視覚でのみの接触を最後まで貫き、エピローグにて指切りする二人を映すほうが演出としてはカタルシスに溢れていたと思う。つまりは、海中のヴァイオレット&崖の上のギルベルトが言葉にてお互いの想いと約束を伝え合い、約束の内容は「今度はちゃんと指切りをして約束し合う」といったものとする。ただそれだけでラストシーンの意味は違ってくる。

 こういった風に徹頭徹尾貫く場所がおかしいのが本作である。とにもかくにも、最後までギルベルトとは面会させないというスタンスを守り切らないのには疑問を呈するという話だ。
 

 余談 ホッジンズはどうすれば良かったのか(簡単なプロットの提示)
――ユリス or ギルベルト
「ユリス様の元へ向かいます」
「ダメだ!」
 驚くヴァイオレット。
「今ギルベルトの奴を放っておいたら、君もアイツも二度と向き合えなくなるぞ」
「しかし、ユリス様は危篤状態です。私が今行かなければ。それに少佐は……」
ホッジンズがヴァイオレットの肩に両手を強めに置く。驚くヴァイオレット
「ヴァイオレットちゃん、君にとってどっちが大切なんだい? 依頼人とギルベルト、君
はいったいどう選びたい?」
「私は……私は……!」
 ヴァイオレットうつむく。
―ヴァイオレットの人生の回想―
 ヴァイオレット顔を上げる。
「どちらも大切です! 依頼も、少佐も、どちらも私にとってかけがえのないものです!」
「なら、どっちも放しちゃだめだ」
優しくヴァイオレットの両手を掴むホッジンズ。
「君にはその両手があるんだから、一度掴んだなら絶対に手放しちゃあいけない!」
「ではどうすれば……」
「生憎うちにはヴァイオレットちゃんの他にも優秀な社員がいてね」
 電報にてホッジンズは部下に指令を出す。
 以後は電話でのユリスとリュカの対話、ユリスは手紙をリュカに残すことを伝える。
アイリスは電報にてユリスの言葉を中継、ヴァイオレットは手紙を書き上げる。
 ユリスは最後にヴァイオレットへ励ましの言葉を送る。
 ギルベルト戦へ。

 こうすれば、手紙と電話が対比も崩さず両立するのではないか?

 

余談の余談、極めて脇道
エンドロールを見たとき……。
    ユリス父   遠藤大智
 ヴァ、ヴァルゼライド閣下!
 ギルベルトとは、つまりはそういうことだったのか……。ガンマレイに撃たれたような衝撃であった。
というわけで、『劇場版クリストファー・ヴァルゼライド』の公開、首を⾧くして待っています。審判者よ、天霆の火に下るべし。アドラー万歳。総統閣下に栄光あれ!
 

※引用した全ての画像の著作権は、「京都アニメーション」及び「ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会」に帰属します。

公式リンク
『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト
http://violet-evergarden.jp/
ヴァイオレット・エヴァーガーデン」公式サイト
http://tv.violet-evergarden.jp/

 

総統閣下ってどんな人?
http://www.light.gr.jp/light/products/vendetta_cs/cha/cha05.html
解説
https://w.atwiki.jp/vermili/pages/128.html

バトルロワイヤルゲーム『FallGuys』レビュー

0.はじめに

 げんしけんレビュー班のほるかすです。
 前回自分が書いた記事が想像以上に多くの方々にご覧頂いたようで、本当にありがとうございます。
gskreview.hatenablog.com

 今回は、前回とは打って変わりあっさり目のゲームレビューとなりますが、お付き合い頂けたら幸いです。

1.FallGuysとは

 最大60人のオンライン対戦プレイが可能なバトルロワイヤルゲームです。プレイヤーは様々なミニゲームをクリアしていき、60人の中の頂点を目指すことになります。
 わかりやすいゲーム性や可愛らしい世界観が受け、世界中で大ヒットとなりました。 www.youtube.com

 現在、PlayStation 4、PCでプレイ可能です(プラットフォーム間での対戦には対応していません)。

PlayStation 4 版リンク www.playstation.com
PC版リンク store.steampowered.com

 2020年の8月に発売となった新しめのゲームなのですが、自分は現在プレイ時間67時間、レベルカンスト、とかなりFallGuysにハマってます。
 今回はなぜ自分がこんなにも『FallGuys』にハマっているのかも含めて『FallGuys』の魅力について語っていこうと思います。

2.FallGuysの魅力

2.1.起動して5秒で始められる手軽さ

 『FallGuys』には、ほとんどのゲームに存在しているチュートリアルが存在していません。それどころか、ゲームのOPムービーや操作説明などもなく、ゲーム初回起動時であっても、起動後すぐに対戦前のロビー画面にいきます。プレイヤーはいきなり世界中のプレイヤーとの戦いを強いられることになります。

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初回起動であってもいきなりロビー画面に飛ばされる

……が、実際にプレイすると分かりますが、たとえ初めてやるミニゲームであってもプレイヤーは即座にルールを理解することができます(一部のミニゲームは2,3回やらないと分からないかもですが……)。
 操作も移動とダイブ、掴みしか存在しないためすぐに慣れます。

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坂と大砲から飛び出す果物、奥にはゲート、とこれだけで障害物を避けながらゴールを目指せばいいことがわかる

また、1回の対戦の時間は長くても15分ほどで、空いた時間にサクッとプレイできる点も非常に良いです。

2.2.万人受けするデザイン

 バトルロワイヤルゲームと聞くと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。おそらく、多くの方が『PUBG』や『Fortnite』を思い浮かべるかと思います。
 大ヒットしたバトルロワイヤルゲームがそうだったのもありますが、バトルロワイヤルゲームと言えば「最後の一人になるまで戦う」というゲーム性から殺伐とした印象をうけるものが多いです。
 そんな中、『FallGuys』はバトルロワイヤルゲームの性質はそのままに、殺伐としたイメージを取り除いており、本来バトルロワイヤルゲームをやらないのであろう層の人達すらも取り込むことに成功しています。
 事実、自分の観測範囲に限った話ですが、『PUBG』や『Fortnite』などのバトルロワイヤルゲームを実況していなかった実況者でも『FallGuys』を始めているように思います。

かくいう東雲めぐさんも『FallGuys』やってます(隙あらば推し宣伝)。 www.youtube.com

  個人的にですが、この殺伐とした雰囲気を取り除く試みは、シューティングゲーム特有の銃で撃ちあう血なまぐさいイメージを払拭している『スプラトゥーン』に近いものがあるなと感じています。

2.3.プレイスタイルにより様変わりするゲーム内容

 2.2節と矛盾するようですが、実はこのゲーム、プレイスタイルによっては殺伐としたゲームと化します。
 というのも、このゲームでは他のプレイヤーを掴んで妨害することができます。そのため、意図的に他のプレイヤーを倒すことが可能となるため1位を目指すプレイヤーの中には積極的に他プレイヤーを蹴落とそうとする人たちが存在しています。勿論、他プレイヤーに妨害することなく1位になることも出来ますし、中には、妨害するプレイヤーに対抗することで間接的に他プレイヤーを助けることも可能です。  1位を目指すという目的はプレイヤー間で共通ですが、プレイスタイルによってその手段は大きく異なるため様々な楽しみ方が可能です。

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他プレイヤーを掴んで妨害することも可能
 ちなみに自分は、「やられたらやり返す」というプレイスタイルです。倍返しだ!!!

3.おわりに

 みんなも『FallGuys』やろう!

劇場版Fate/Stay night[Heaven's Feel] III.spring songで感情になった話

まえがき

 お初にお目にかかります。げんしけんレビュー班一年のmartと申します。
 本記事は、先月8月15日より上映されました『「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅲ.spring song』(以下「HF三章」)を受けて、感情が新鮮なうちに感想を書き綴っておこうと思います。
 なお、ネタバレをふんだんに含みますので、未視聴の方はご注意下さい。
 また、(グダグダになりそうなので)考察の類などはあまり含めていません。ただの個人の感想ですので、「わかる~!」といった部分があれば幸いです。

III.spring songで感情になった話

 さて、本題の感想となりますが、題名の通り視聴後は綺麗に「感情になった」……もとい感極まっていました。(感情になった、というのは「感情の奔流に吞まれている」の様な意です。流行らせて下さい。)劇中での個人的に印象深かったシーンを、順に振り返っていきます。

「舞台に上がった」言峰綺礼

 初っ端ではありますが、まずは言峰綺礼について。
 HF一章二章、またTVアニメFate/stay night [Unlimited Blade Works]では(ストーリー上とはいえ)あまり動きのなかった言峰綺礼。そんな彼が『私も舞台に上がるとしよう』と告げてから三章は始まります。その言葉の通り、視聴中の私にしっかりと爪痕を残し、「美味しいところを持って行かれた」感じがありました。

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https://www.youtube.com/watch?v=_OdZfKbnQj4&t=41s より車を出すシーン
 イリヤ奪還のドライブシーンへ。
 ところで、唐突かつHFの感想記事に乗せるのも場違いではありますが、私は「Fate/Zero」、そしてその衛宮切嗣言峰綺礼の描写、互いの関係性を好んでいます。
 その様な経緯もあり、ほんの数分の車中会話も、言峰綺礼の言葉一つ一つに重みを感じていました。
 『衛宮切嗣の生き方は私には不快だった。奴は初めからあったものを切り捨て、私には切り捨てられるものが無かった。結果は同じながら、その過程はあまりにも違った』
 言峰綺礼の口から「衛宮切嗣」という言葉が出てくるだけでも少々心が躍ってしまいますが、(変態か?)その上自ら語り始めるところにすっかり感情になってしまいました。
 その後中盤にて……、
『衛宮。助けた者が女ならば殺すな。目の前で死なれるのは、中々に堪えるぞ』
回想にてついにクラウディア(cv:茅野愛衣さん)が……! 言峰綺礼にとっての転換点。しっかりと映像にして下さいました。
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http://ufotable.com/cafe/hf3_cafe/menu_1st_b.html より 詠唱シーン
 そして私的第一の「感情」ポイント、洗礼詠唱のシーン。「言峰綺礼の洗礼詠唱」というだけでも深いものがありますが、加えて映像の美しさも重なり、一度見た後、心を掴んで離さないシーンでありました。
 原作では外壁に臓硯の頭を擦り潰しつつ唱えていましたが……、なるほど屋根、十字架。特筆すべきは、やはりその荘厳さ。浄化されました。当分はこのシーンに心を囚われ続けそうです。

圧巻の戦闘シーン

 HF一章のランサー、二章のセイバーオルタを経て、もはや信頼しかないといった「ufotable」の戦闘シーン。三章においても作画を開放してきました。ですが今回は、上記の洗礼詠唱のシーンも含め、よりいっそう背景や効果に凝っている様な印象を受けました。セイバーオルタ戦でのライダーの魔眼の駆け引きなども圧巻でした。

衛宮士郎

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https://www.youtube.com/watch?v=ghwoaF-VYS0 より 大空洞にて
 「言峰綺礼」、セイバーオルタ戦を経て、しかしやはり主人公というべきか、最後に楔を打ち込んだのは「衛宮士郎」でした。アーチャーを追い抜き、桜を助け、身体を崩壊させながら、言峰綺礼と殴り合い……、そして最後の最後に自ら出た、『生きたい』という言葉。生きたいと思ってしまいながらもイリヤと呼び続けるその必死な表情。弟を守るイリヤ「おねえちゃん」。映像化の真骨頂が発揮されていました。

まとめ

 HF三部作、2017年に第一章が上映されてから約三年にして、ついに完結となりました。三部にかけて綺麗に「序破急」の形をとっている印象を受けるためか、「急」にあたる今作は、場面場面が急激に移り変わり、その全てが重要で、とても濃密な内容でした。そのため凛や桜、ライダーやセイバー、アーチャーにイリヤなどなど、挙げられる話題は枚挙に暇がありません。
 ともあれ今回はここで締めさせて頂きます。(〆切が……) 今後少々更新などを行う予定です。
 最後に、申し訳程度にレビューらしく点数を付けさせて頂くと、やはり十点満点中十点です。想像の遥か先の完成度でした。

あとがき

 HF三章の上映時期について、春から延期された後、八月に再度決定されましたが、個人的にはまた延期となるのではないかとヒヤヒヤしていました。まぁ、それは杞憂でしたが(笑)。訪れた映画館では、例の感染症対策として一個飛ばしでの座席配置となっていました。正直なところ、両脇が空いているのはかなり快適でしたので、通常でもこの様な配置が良いなと思いました。利益などを度外視した意見ですが。

きっと東雲めぐはこれからも生き続けるのだろう。

0.まえがき

 げんしけんレビュー班のほるかすです。
 この記事は、自分が3年前からずっと推している東雲めぐさんへの雑多な考えを書き綴るだけのものとなっておりますが、VTuberのメタ的な部分、所謂中の人や魂といった部分の話が含まれておりますので苦手な方はブラウザバックをお願い致します。
 また、本文において敬称を省略している部分がありますがご了承ください。

1.東雲めぐとは

 Vtuber にカテゴライズされるであろうバーチャルタレントです。(ここで若干歯切れが悪いのは後述)
www.youtube.com

 東京にある日和丘高等学校(架空)に在学中の高校3年生で、曲や絵本を出したり、歌のお姉さんやアンバサダー、イベントMCをしたり、VRライブ・ミュージカルに出演したりと非常にマルチに活動しています。(書ききれないから是非調べてみてください……)

 活動開始時期は2018年3月1日で、今では珍しく(?)Vtuber 黎明期からコンスタントに活動を続けているVtuber の1人でもあります。
 Youtubeチャンネル登録者数は約4万人と決して多くはありませんが、熱心なファンと丁寧な運営、当人の活動スタイルやマルチな才能も相まって、今もなおその活動は留まるところを知らず、現存するVtuber の中ではかなりうまくいってる部類に入っていると思います(というか、上手くいっていて欲しい。もし違うならもっとお布施頑張ります!!!)

2.東雲めぐはVtuberなのだろうか  

2.1.Vtuberの定義

 本題に入る前に、まずはVtuber という言葉の定義からさせてもらいます。と言ってもこれに関しては様々な言説が存在しており、話し出せばキリがないので、ここでは一旦Vtuber という言葉をシンプルに

バーチャルYouTuber(バーチャルユーチューバー、英: virtual YouTuber)は日本発祥の、コンピュータグラフィックスのキャラクター(アバター)、またキャラクター(アバター)を用いてYouTuberとして動画投稿・配信を行う人。また、その文化。通称、VTuberVチューバー(ブイチューバー)。
*Wikipedia引用(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%ABYouTuber

と定義します。また、Wikipediaでは配信プラットフォームをYoutubeに限定していますが、それ以外のプラットフォームを利用している人に関してもここではVtuberと一括りに呼ぶことにします。

 そして、皆さんお察しの通り、この定義において「東雲めぐ」は間違いなくVtuber ということになります。

 実際問題として、自分が東雲めぐを他人に説明する際には、「東雲めぐはVtuber である」と説明しますし、東雲めぐのファンの中でも「東雲めぐはVtuber である」と言われて絶対にそれは違うと言い切れる人はいないと思います(もしいらっしゃったら考えをお聞きしたいです)。

 しかし、自分は2つの理由から「東雲めぐはVtuber である」とは言いたくないです。注意して頂きたいのは、自分は「東雲めぐがVtuber ではない」と主張したいのではなく、あくまで「東雲めぐはVtuber である」という事実を認めた上で、「東雲めぐをVtuber ではない」という考えを楽しみたいのです。
 それでは、順に説明します。

2.2.東雲めぐは中の人である

 東雲めぐについてあまり詳しくない人にとっては混乱するかもしれませんが、東雲めぐはある意味ではVtuberであり、またある意味ではVtuberを演じる中の人でもあります
 Vtuberについて考える際にそこに存在するレイヤーは通常2つ(中の人とCGキャラ)だと思うのですが、東雲めぐの場合にはそれが3つになります。
 その3つについて順に説明します。

①東雲めぐを演じる中の人
 我々が生きる3次元空間上の東雲めぐを演じる人物のことです。(ここで言う中の人というのは必ずしも演者1人のことを指すわけではないのですが、本筋と関係ないのでその話はまたどこかで。とりあえず、演者のことだと思っていただいて大丈夫です。)
②高校3年生の女の子としての東雲めぐ
 おそらく、一番皆さんが知っているであろうフォルムの時の東雲めぐのことです。最もこれがスタンダードな東雲めぐであり、自分が「東雲めぐはVtuber である」とは言いたくないといった東雲めぐもこのレイヤーの東雲めぐに対してのものです。このレイヤーの東雲めぐは自身のことを「Vtuber である」と公言したことはありません。 また、彼女はこの姿で他のVtuber とコラボすることはまずありません(一部例外あり)。

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高校3年生の女の子としての東雲めぐ(https://youtu.be/AJFJsKMqTE0)
③高校3年生の女の子としての東雲めぐが演じる、バーチャルYoutuber東雲めぐ
 このレイヤーにおいて東雲めぐは自身のことを「Vtuber である」と公言しており、他のVtuber とコラボするときにはこの姿で登場します。また、最近では2Dの東雲めぐも登場しましたが、それもこのレイヤーの東雲めぐです。
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②と比べて目の違いが特徴的(https://youtu.be/cL4wIlq5R4w)
 面白いのが②の存在です。通常のVtuberの場合存在するレイヤーは①(魂)と③(ガワ)で完結しています。しかし、東雲めぐの場合には、その間に②が存在しており、③を演じる②を演じる①という関係になっています。①と②または②と③の関係性は他のVtuberのものと変わりありませんが、①と②と③という一つの繋がりで見たときに②の東雲めぐはVtuberであり中の人であるという不思議な存在となるのです。

 その意味で、③の東雲めぐをVtuberと呼ぶ都合上②の東雲めぐとは区別する必要があるため便宜上②の「東雲めぐはVtuber である」とは言いたくないと自分は思っています。

2.3.東雲めぐはこの世で生きている

 1つ目の理由と被る部分も多いのですが、もう1つの理由としては東雲めぐのコンセプトである「普通の高校生の女の子」という設定を自分自身が楽しみたいからです。
 1つ目の理由で述べたように、②の東雲めぐは自身を「Vtuberである」とは思っていません(①の東雲めぐがそういう風に演じている)。そして、我々視聴者が②の東雲めぐはVtuberではないと見方に立った時、非常に面白いことが起こります。
 というのは、一般的にVtuberにとって中の人がバレることはタブーとされています。しかし、東雲めぐの場合、③の東雲めぐをVtuber とすると②の東雲めぐは中の人であり視聴者に中の人がバレていることになります。③の東雲めぐの配信を見ている時、我々視聴者は③を演じる②の存在を意識しながら見ることになり、これにより②の東雲めぐはあたかも現実の存在であると錯覚するようになります。
 個人的にこの感覚は、俗にいう後方彼氏面に近いものなのではないかと思っています。「普通の高校生が顔出し配信を始め、時として色んなVtuber交流し頑張っていく」様子は全てを知った(気でいる)オタクにとっては最高にニヤニヤできる状況です。この状況を楽しむために視聴者側は「②の東雲めぐはVtuberではない」という考えをする必要があり、それ故に自分は「東雲めぐはVtuberである」とは言いたくないです。

3.彼女は非サザエさん時空にいる

 時間の経過の概念は存在しているのに、キャラクターが年を取らないことを国民的アニメ『サザエさん』を由来としてサザエさん時空と言ったりします。Vtuberもこのサザエさん時空を採用しているVtuberが圧倒的に多いです。代表的な例で言うと、月ノ美兎でしょうか。月ノ美兎は毎年16歳の誕生日を迎える永遠の高校2年生です(実は過去にサザエさん時空を脱したときもあるが)。
 反対に、東雲めぐは我々と同じ時間軸で年齢を重ねていきます。実際、配信を始めた2018年当初は15歳の中学3年生だったのが現在では18歳の高校3年生です。Vtuberに限らずオタクコンテンツにおいて、女子高生というジャンルに一定の人気がある以上、東雲めぐがこれから急にサザエさん時空に入り永遠の女子高生となる可能性もゼロではありませんが、東雲めぐのコンセプトとこれまでの活動の様子からその可能性は限りなく低いでしょう。
 サザエさん時空とそうでないVtuber、どちらにも利点があると思うのですが、”我々の生身の人間が生きる世界に存在している”東雲めぐにおいてはサザエさん時空を採用しなかったのはまさに英断であったと言えます。

4.東雲めぐは生き続ける

4.1.Vtuberにとっての生

 Vtuberにとっての死とは何でしょうか?
 一般的には「引退」=「死」とする考えや、誰かの記憶、心に残り続ける限りVtuberの完全な死はありえないという考えが多いような気がします。

 実はこの質問、先々代のげんしけんレビュー班班長であるアマミさんにされたことがあるのですがその時もそして今も自分は明確な答えを持ち合わせていません。
 しかし、一般的なVtuberの死の定義から逆説的に「引退を表明していないVtuberは死んではいない」ということは少なくとも言えると思います。
 ここからさらに踏み込んで、「死んではいない」=「生きている」と言ってしまっていいかは意見が分かれるところではありますが、自分は個人的願望を込めて「引退を表明していないVtuberは生きている」という考えを持っています(音信不通の友達がいても生きていると思っていたいみたいな感情に近い気がします。違うかな笑)。

4.2.人間にとっての生

 では、次に我々3次元世界にいる生身の人間の生についてです。
 別に宗教的な話をしたいわけではないので、これについてはシンプルに「脳の機能が完全に停止し、蘇生不能な状態に陥っていない」ことを生の定義とします。

4.3.東雲めぐにとっての生

 先に述べたようにVtuberの生の十分条件は「引退を表明していないこと」でした。これを東雲めぐに当てはめるとどうなるでしょう。
 まず、2.2節で述べた③の東雲めぐについてですが、③の東雲めぐは間違くなくVtuberであるので他のVtuberと同じく、生の条件は「引退を表明していないこと」です。  次に②の東雲めぐに関してです。この東雲めぐはVtuberであり、我々生身の人間でもあるという状態にあります。
 この状態において、彼女はデジタルの体であるがゆえに「脳の機能が完全に停止し、蘇生不能な状態に陥る」ことはなく、 生身の体であるがゆえに「東雲めぐを引退する」ことはありません

 「東雲めぐを引退する」という表現について少し補足します。「ゆうこりん」の愛称で親しまれたタレント「小倉優子」ですが、小倉優子にとって「ゆうこりん」は演じるべき「ガワ」でした。しかし、小倉優子にとって「小倉優子」は自分そのものであり、決して演じているものではありません(人は誰しも仮面をかぶっているみたいな話は置いといて)。小倉優子は「ゆうこりん」を引退することはあっても小倉優子自体を引退することはありません(芸能界引退はするかもですが)。同様に、②の東雲めぐにとって③の東雲めぐは演じるべき「ガワ」ですが、②の東雲めぐにとって「②の東雲めぐ」は自分そのものであり、決してそれは演じられたものではありません。従って、②の東雲めぐを”我々の生身の人間が生きる世界に存在している”と考えたとき、東雲めぐは引退することはないと考えられるでしょう。

 勿論、②の東雲めぐが配信をやめる時は来るかもしれません。それでも、東雲めぐは我々と同じ世界で生き続けるのです。

5.きっと、彼女は生き続けるのだろう。

 ここまで読んでくださった皆さん本当にありがとうございます。ここからは、東雲めぐの成長と将来を想って自分が感傷に浸るだけの内容なので気楽に読んでもらえると幸いです。
 3章にて、東雲めぐは非サザエさん時空にいると述べました。彼女が配信を始めてから今年で3年になりますがこの間にも彼女の成長を感じることがありました。
 開始当初は何をするのにも精いっぱいな彼女が、今では事務所の先輩という立場になりフォローしている様、自分の夢をどんどん実現させていく様を見ていると娘の成長を見ているようで本当に嬉しくなります。

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左が幼少期イラスト(https://twitter.com/choco_ikarashi/status/1002856570470854656/photo/1)右が水着イラスト(https://twitter.com/megu_shinonome/status/1298949993177341953/photo/1)。成長したなぁ……

 彼女は、現在高校3年生です。今年で高校生を卒業し、大学生になるのか社会人になるのかそれは自分にはわかりませんが、きっと「東雲めぐ」が悩み選択していくことになるのでしょう。
  いつの日か、彼女は恋を知るのでしょうか。
  その時は配信で視聴者に教えてくれるでしょうか。
  それともいきなり結婚報告するのでしょうか。
  そもそも、大人になってまで配信を続けているのでしょうか。
  配信者をやめた後10年後に突然復活するかもしれません。

 僕には、これからの彼女がどうなるのか全く分かりません。ですが、彼女の人生がこれからも続くのだということだけはわかります。そして、そう信じられることが東雲めぐの凄さであり、自分が東雲めぐを大好きな理由です。

 どうか東雲めぐのこれからに幸多からんことを

花譜MV『畢生よ』 多分3番目くらいに早いロケ地巡礼レポ #花譜

まえがき

 初めましての方は初めまして、そうでない方はご無沙汰しております。筑波現視研レビュー班の桐一葉(きりひとは)です。

 この記事は、以前班僚の紅葉くんが投稿してくれました「花譜MV『過去を喰らう』ロケ地巡礼レポ」の影響を受けて(というか題材をほぼそのまま借りて)作成したものになります。この記事以降、私も花譜ちゃんの歌を聴くようになったため、せっかくなら新鮮な話題がいいのではないかと思い、最新MVを選んでみました。丁度通院治療などの関係で東京都区部の実家に帰省していたため、タイミングもよかったです。

 今回は出歩く距離を極力減らすため、事前に地図やGoogleストリートビューを用いてある程度捜索しておきました。ただし、いくつかの場所については実際行ってみて初めて分かったものもあります。今回、おそらく合成だと思われる倉庫(?)内を除き、幸いにも実写パートの撮影地を全て特定・撮影できましたのでご紹介いたします。

本稿について

 まずは今回ロケ地を巡った花譜ちゃんの最新MV『畢生よ』をご紹介しておきます。本曲は、山田悠介さんの小説『俺の残機を投下します』テーマソングとなっています。

www.youtube.com

 私は、音程を気にしすぎることなく豊富な表現力を存分に生かした歌唱と、現実と非現実の境界を融かしてくれる半実写の映像の組み合わさった花譜ちゃんのMVを観てすぐに虜になりました。
 今回、まったく土地勘のない場所で少しずつ手がかりを見つけながら、ロケ地を導き出していきましたので、そこに至るまでの論理や方法にも注目して頂けるとありがたいです(アナタが気になっているあの作品にも応用できるかもしれませんよ)。

撮影機材:Xperia XZ1 Compact
撮影人数:1名(筆者)
撮影日:2020年8月25日(一部8月30日)

ロケ地の紹介

 上記の地図は、撮影地点をGoogle Map上にマッピングしたものです。以下、この地図をもとに、動画の再生時間とその歌詞とともに、カットごとに解説していきます。上掲の動画をご覧頂きながら読むとわかりやすいかと思います。また、地図タイトル左側のアイコンをクリックするとマッピング地点の一覧が表示されますので、合わせてご覧ください。

①「僕らは~偉大さに」(0分25秒~0分29秒)/間奏(1分26秒~1分28秒)

撮影地:富ヶ谷歩道橋(渋谷区富ヶ谷一丁目)
アクセス:小田急小田原線「代々木八幡」駅下車徒歩2分
     東京メトロ千代田線「代々木公園」駅下車徒歩2分

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富ヶ谷歩道橋
 まず、後述する古着屋や京王井の頭線の光景から、世田谷区やその周辺と当たりをつけました。そして、写っている歩道橋の特徴から、片側2車線の道路同士が垂直に交わっている交差点をGoogle Mapで探しました。現在、Google Mapでは歩道橋の形状まで表示されるため、いちいちストリートビューに降りる必要がなく楽でした。また、上部に高架が写っていないため、高速道路の下を通る国道20号甲州街道、246号玉川通りを除外できたのも大きかったです。数分後、都道413号井の頭通りと同317号山手通りが交差する渋谷区富ヶ谷交差点の歩道橋、並びに付近のマンションがカットと一致することを確認しました。

②「欲望し続けて~手入れ不足だ」(0分30秒~0分35秒)/「すれ違う生涯すら様々」(1分45秒~1分47秒)/「じゃあ僕は何をしてんだ」(1分47秒~1分49秒)

撮影地:淡島通り 松見坂下バス停付近(目黒区駒場一丁目)
アクセス:小田急バス渋54系統「松見坂下」バス停下車すぐ
     京王井の頭線「神泉」駅下車、南口より徒歩8分
     東急田園都市線「池尻大橋」駅下車、北口より徒歩10分

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淡島通り
 壁面や雰囲気が一致していること、本MVでは同一箇所でまとめて撮っているカットが多いことから、これら3カットは同一地点で撮影されたものと断定して捜索しました。
 この地点の捜索には、私の経験が活きました。私の旧居に近い新宿区新宿六丁目には、下側の壁面塗装・道路と階段を降りる方向の関係・落下防止柵などが明らかに異なっているものの、道路とそれをくぐる道路が階段で連絡されており本カットと似た雰囲気のある地点があります。そこでは、都道302号線が小規模の台地から低平地に降りてくる際、下にスペースが生じ、その空間を崖下の道がくぐる、という位置関係になっています。したがって、【図解】のように、台地の末端部に本カットや新宿六丁目のような光景が生じるのではないかと考えました。これに従って、Google mapの「地形」機能や地理院地図の「自分で作る高度段彩図」機能を使用し、世田谷・渋谷・目黒の台地末端を調査しました。すると、井の頭線神泉駅からおよそ600mの地点、都道423号淡島通りが台地を駆け下ってくる「松見坂」と、その下を通る道路が階段で連絡されており、カットと完全に一致しました。
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【図解】段崖を降りてくる道路の下を別の道が通る
 くぐる道路側の壁面・ガードレール・「T-003」と書かれたシールはもちろんのこと、上側の落下防止柵・降りる方向(車道の進行方向と同じ)・自転車レーンなどが一致していることがおわかり頂けるかと思います。おそらく随所で望遠レンズを使ったりF値を弄ってぼかしたりしているのですが、今回使った撮影機材ではそれができなかったので必ずしもピタリ一致した写真になっていないのは申し訳ないです。
 なお本地点は、経堂駅・梅ヶ丘駅から小田急バス渋54系統に乗車し、「松見坂下」バス停で下車して0秒の位置にあります。近くにお住まいの方は小田急バスで出かけてみてはいかがでしょうか。よく考えると私は当該地点を渋54で通過したことがあったのですが、なかなか覚えていない、分からないものですね。

③「奪う側と奪われる側」(0分35秒~0分38秒)

撮影地:下北沢駅 京王井の頭線ホーム裏手
アクセス:下北沢駅下車徒歩1分

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下北沢駅裏手
 草生したフェンス状の何か(広告の裏側でしょう)の奥に、トタン風の丸く折れ曲がった屋根が見えます。まず間違いなく駅のホームです。
 で、そのホームですが、広告で隠れている=フェンスから少し距離があるので、2本の線路が1個のホームを挟む「島式ホーム」と考えられます。今回調査対象とした下北沢・代々木八幡周辺で、地上に島式ホームを有するのは代々木八幡・(京王)下北沢・池ノ上・駒場東大前の4駅です。どうせ下北沢だろと思いつつ一応全部見て回りましたが、まあ下北沢でしたね。右上に写るビルの配色、並びにフェンス下側の「AYO」と読める落書きが同じです。

④「与える側と与えられる側」(0分38秒~0分39秒)

撮影地:昭和パーキング第6駐車場(世田谷区北沢一丁目)

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④昭和パーキング第6駐車場
 これはノーヒントだったので、下北沢・代々木八幡周辺の駐車場を、衛星写真を用いて探しました。「24」番の駐車スペースがあるということはそれなりに広いということなので、上から見ても十分分かると思ったからです。目論見通り、青と白のボーダーをバックに並ぶ駐車スペースが見つかりました。車が駐まっていたので全く同じ風景というわけにはいきませんでしたが、まあよしとします。

⑤「気付くまで~無様だ」(0分40秒~0分45秒)

撮影地:biensol(世田谷区北沢二丁目)

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⑤biensol
 特に手がかりがなかったので、写っている「BIENSOL」という文字をとりあえず検索すると、すぐ下北沢の古着屋さんであることが分かりました。本MVが下北沢周辺で撮影されたのではないか? と考えるきっかけになりました。当たり前ですが、この壁面は落書きではなくデザインです。

⑥間奏(1分23秒~1分26秒)

撮影地:代々木八幡1号踏切(渋谷区富ヶ谷一丁目)
アクセス:小田急小田原線「代々木八幡」駅下車すぐ
     東京メトロ千代田線「代々木公園」駅下車すぐ

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⑥代々木八幡1号踏切
 これが普通の踏切であればすぐ諦めるところでしたが、線路を跨ぐように何かの高架橋が写っているので、特定しようという機運になりました。当初、井の頭線が写るカットがあったこと、小田急小田原線東急田園都市線は大体高架か地下という考えがあったことにより、井の頭線沿線をGoogle ストリートビューで徘徊し、20分ほど何の成果も得られませんでした。一時は、小田急地下化前の下北沢では(?)などという突拍子もない考えに突き当たるほどでした。
 しかし、これを後回しにして先に富ヶ谷歩道橋と淡島通りを特定したことで、撮影者は代々木八幡駅を起点に、神泉に向かって山手通りを南下した(乃至その逆)のではないか? という考えに至り、同時に小田急小田原線も南新宿~代々木八幡間は地上区間であることを思い出すことができました。そこで代々木八幡駅脇で山手通りの高架と線路が交差するところを調べたところ、高架の形状と色・警報器の形状・道路標識が一致しました。
 ところでこの踏切、もともとは高架下になかったものを移転したそうです。駅のホームを改良するのに邪魔だったため、新宿寄りの位置からここに移動させたのだとか。小田急沿線はいつ行っても工事をやっている気がしますが、その工事がなければ見つけることは困難な風景だったわけですね。

⑦「小汚い~過去が」(1分28秒~1分33秒)

場所:京王井の頭線高架下 下北沢東会入口
アクセス:下北沢駅下車徒歩2分

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井の頭線高架下
 古着屋が下北沢と分かってからは下北沢中心の捜索となりました。というのも、右側に写っている高架には架線柱が乗っており、明らかに鉄道の高架橋だったからです。井の頭線は下北沢付近で高架になっていますし、下北沢ではずっと工事をやっていますから、映像の条件に丁度合う場所です。というわけで、ストリートビューを使うと1分くらいで見つかりました。
 また、直後の横顔もここで撮ったものです。花譜ちゃんの奥に、赤い文字が5個取り付けられた青い縦長の看板があります。これはご存知、カラオケ館のものですね。上記の高架下から右側を向くと、カラオケ館の看板がありますから間違いありません。建物の壁に張り付いた雨樋も同じ形をしています。安いスマートフォンで撮ったので、映像と同じ雰囲気が出せなくて申し訳ありません。

⑧「当たり前のように~邪魔をする」(1分34秒~1分39秒)

場所:下北沢一番街 路地裏

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⑧路地裏
 最初に見たときはすぐに「無理だろうなぁ」と思いました。細い路地が世田谷・渋谷・目黒全体で何本あるか分かりません。
 ただ、映像を拡大しながら細かく見ていくと、場面転換直後に一瞬だけ左奥の布がはためいていること、奥の路上に丁字路を示す表示があり、路地を出た道もまた狭そうであること、そして向こう側のビルが格子状のシャッターを有することが分かりました。以上のことから、どこかの商店街だろうと大雑把に予測して、代々木八幡商店会、池ノ上商会などを通りがかりに見回しましたが、当然(?)見つかりません。
 そして下北沢で最後の撮影を終え、「世の中、一つくらい分からないままでいい」「知らない方が良いこともある」というそれっぽい言い訳を考えて引き上げようとしたところ、通りかかったのは偶然にもこの路地の入り口でした。狭さ、奥の建物のシャッター、郵便ポストなどが完全に一致しています。心の中で雄叫びを上げながら、拳を腰に当て、静かに強く握りしめました。

⑨「奪う者と奪われる者」(1分39秒~1分42秒)

撮影地:山手通り・目黒川 目黒橋(目黒区青葉台三丁目)
アクセス:東急田園都市線「池尻大橋」駅下車、東口より徒歩8分
     東急東横線東京メトロ日比谷線「中目黒」駅下車、徒歩15分

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⑨目黒橋
 橋らしき欄干の後方には暗闇が広がり、ヒントはほとんどありません。ただ、私はこういうところで諦めが悪い男です(知らないよ)。漆黒の闇に浮き上がる光線が、不自然であることに気がつきました。仮に、高架橋から下界を眺めており、F値をいじったために光がぼやけているなら、光は光源から同心円状に広がるはずです。しかし、このカットではそうなっていません。しかも、光源はゆらゆら揺れています。そこで、この光は水面に反射したもので、欄干は川にかかる橋のものではないかと仮説を立てました。幸いなことに令和2年、23区南西部の川は悉く暗渠化され、水面が見えるのは目黒川や仙川などごく一部です。そして、他の撮影地に近い目黒川を上流部から調べていくと、目黒橋の欄干がその形状・材質のみならず、貼られたシールまでMVのものと一致することがわかりました。ストリートビューに写るシールを見た際、思わず感嘆の声を上げてしまいました。我ながらよく見つけたものだなぁと思います。

⑩「失敗したら失敗したまま」(1分42秒~1分44秒)

撮影地:山手通り 陸橋高架下 (目黒区青葉台三丁目)
アクセス:東急田園都市線「池尻大橋」駅下車、東口より徒歩8分
     東急東横線東京メトロ日比谷線「中目黒」駅下車、徒歩15分

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⑩山手通り高架下

 陸橋が高度を下げてくるところの高架下であるということは見れば分かります。流石に捜索対象地域の陸橋を全て把握することはできないため、代々木八幡駅、松見坂下、目黒橋の位置関係から「撮影者は山手通りを歩いた」と仮定し沿線を調べたところ、先述の目黒橋のすぐそばでこの光景は見つかりました。

⑪間奏(2分27秒~2分32秒)

撮影地:下北沢駅付近

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下北沢駅付近
 実際に地点を特定した順番でいうと、ここは2番目です。花譜ちゃんの背後を通過する電車の形式から路線を特定しました。東京都内でオレンジと赤の帯を持つ電車は、京王1000系(京王井の頭線)*1東急電鉄9000系(東急大井町線)*2東葉高速鉄道2000系(JR中央・総武線各駅停車、東京メトロ東西線)の3形式が考えられます。このうち、東葉2000系は帯の上下が映像と反対です。また、東急9000系はかなり有力な候補でしたが、車体に貼られているはずの「大井町線」のステッカーが確認できないこと、優先席表示のデザインが異なることから、京王1000系と断定しました。
 井の頭線沿線と分かってからは数分で見つかりました。沿線の住宅街を想像していましたが、灯台もと暗し、下北沢駅の裏手でした。Googleストリートビューではまだ工事中の写真が掲載されており、銀色の金網はまだ工事用の白いフェンスとして写っています。しかし、カーブミラーや自動販売機、掲示板、車両の上半分を隠す構造物などの特徴が一致したことからこの箇所と断定。工事が終了して銀色の金網が見えるようになったと判断し現地に赴いたところ、映像通りの金網に変わっていました。ただ、重機が駐まっていたことと電車の時刻の問題があり同様の構図を撮れませんでした。
9月1日写真差し替え:8月30日に下北沢を訪れる用事ができたので、30分ほど粘って映像と同色の編成が停まっているところを撮りました(フェンスの前にバイクが駐まってましたが……)。電車が来るまで付き合ってくださった早大のIくんにはこの場を借りて感謝申し上げます。

感想

 土地勘がある方なら一目で分かってしまうような光景の連続でしたが、世田谷なんてお洒落な場所にはなかなか縁遠いので地道に探していくほかありませんでした。かなり疲れましたね。
 現実と非現実の境界が曖昧化する今日、サブカルにも実写の作品が増えてくることが予想されます。個人的には、こうした実写は作品にリアリティを生み出すだけでなく、我々の立ち位置を曖昧にし、非現実と交わることが可能であるかのような、あるいは非現実が現実の一部であるかのような淡い妄想を抱くことを許してくれる、そんな優しさを持つ表現だと思います。今回軽く紹介した着眼点が、いろいろな「同じ場所」に生きたい、という方の一助になれば幸いです。

編集履歴

2020年8月26日 初版公開 2020年9月1日 一部写真差し替えとそれに付随する文章修正、一部脚注追加

*1:一部編成のみ

*2:などといけしゃあしゃあと書いていますが、読者の方から「東急9000系の帯が赤とオレンジなのは正面だけでは?」とのご指摘を頂きました。記憶が曖昧で資料写真の光線状態も特殊だったようです。申し訳ありません。