不死身の血族からルパン三世の「見えないものを見ろ」
※この感想文はネタバレが大量に含まれています。 また、初見で見たときに思ったことを書きなぐった後映画を再確認していないので、もしかしたら自分の記憶違いなどで全然違う話の可能性があります。 ルパン三世に関してもそこまで熱心というわけではないにわかファンの戯言なので、あらかじめその旨をご了承ください。
- はじめに
- キャッチコピーが多すぎる
- 映画としてはパッとしない
- ヤエル奥崎かっこいいよね
- ムオムとは何か、マモーとは何か
- 「ルパン三世」の複製
- ゴミ人間と一味、そしてヤエル奥崎とホーク
- 禁断の果実とは?
- 1stと複製人間と「親殺し」
- ルパンが盗んだ物とは
- おわりに
はじめに
こんにちは。さつき3です。
2025年6月27日、「ルパン三世」シリーズ最新作であり、その中のスピンオフ『LUPIN THE IIIRD』完結編ともなる映画『LUPIN THE IIIRD THE MOVIE 不死身の血族』が公開された。同スピンオフシリーズは『次元大介の墓標』から足掛け11年という長寿シリーズであり、その間にルパン三世のメインシリーズではPART4、PART5、PART6、TVSPでは『イタリアン・ゲーム』、『グッバイ・パートナー』、『プリズン・オブ・ザ・パスト』、スピンオフでは『THE FIRST』『LUPIN ZERO』『ルパン三世VSキャッツ・アイ』などが制作されていた。『LUPIN THE IIIRD』シリーズは小池健監督によるそれらメインシリーズなどとは異なるハードボイルドかつ外連味のあふれる世界観や演出に定評があり、ファンも多い。でもそんな映画として大々的に宣伝シリーズでもないよなと思いつつ、期待と不安を胸に抱きながら劇場へ足を運んだのだが……
「変な映画」、と言うのが純粋な感想である。ある意味では50年以上関係各所の事情に振り回されているルパン三世という作品を象徴してすらいると思う。
よって本稿においては公式が「全ての「ルパン三世」につながる物語」と大々的にキャッチコピーを掲げているのを良いことに、「見えないものを見ろ」と言わんばかりに穿った視点から、まるで関係ない星に勝手に線を引いて星座を作るように、考察というか妄想まじりのレビューをしていく。
続きを読む上条当麻という人間(新約とある魔術の禁書目録9巻レビュー)
まえがき
元レビュー班班長のナガレです。
レビュー班の大本の現代視覚文化研究会がアドベントカレンダーなるものを企画したので私も過去に書いたレビューを投下することにした。
げんしけんの皆さんはnoteとか個人ブログとかに書いていたので、絶対にかぶらないであろうはてなブログという場所で投下させていただく。オタクの逆張り精神だと思ってくれればいい。
このアドカレでは癖を語っている人が多めだったので私の癖の一つを表したようなレビューを投下する。
どうぞゆるりとお楽しみを。
本文
「上条当麻はヒーローである」
おそらくこの言葉に間違いはないのであろう。実際、今までの作品の中でも彼のかかわった事件では格段に人の死亡率が下がっている。暗部編がいい例であろう。それは上条当麻という人間の考えとしてまず他人を優先し、どんな無茶な状況であってもそれを可能にするヒーロー性を持ち合わせているからである。人を助けるという行為をするにあたって自分をおざなりにし、まず一番に他人を優先する。そこに自分の弱みは決して出さずにまず最初に犠牲にするのは自分。それでいて何もかもをうまくいかせ、すべてを救ってみせるのだから彼はヒーロー足りえるのであろう。 基本的に今までの話の中でこの上条当麻という人間の人間らしい弱さというものは描かれていない。それはなぜか。あまりにも彼の精神が強すぎるためであると思っている。
この話の冒頭は崩壊した世界でオティヌスが彼の精神を壊すためにいくつもの世界を作り直すということから始まる。あまりこの説明に尺を使いたくないので簡略に説明すると、全世界から彼が命を狙われる世界。知らない誰かが上条当麻に成り代わった世界。冤罪を押しつけられ首に縄を掛ける世界。山で知り合い達と遭難し、救助が来るまで上条の肉を生きたまま食べる世界。意識はあるのに体が動かせず、そのまま葬式が進んでいく世界、腐葉土の中に埋められ、そのまま生きたまま手足の先から腐敗していく世界。地球がダメになり宇宙船に乗せられ、無重力空間に投げだれた世界。ちっぽけな彼を放っておいて巨大ロボットや小惑星によって壊される世界。
このように彼がいくら死のうと、存在ごと否定されようと、自分の無力さを痛感させられようと、見知った仲間に裏切られようと精神が壊れることはなかった。彼の精神の強さが見て取れる。
本書はこんな彼の精神を壊す方法としての最適解を出してくれた。
その最適解とは、「誰もが幸せな世界」を作り上げることである。
当たり前ではあるが、「彼のかかわった事件では格段に人の死亡率が下がっている」と述べたように、彼が助けようとして関わった人物はほとんど守れているが、敵などの一部は取りこぼしがある。また、彼が関わる前に起こった不幸は彼にはどうしようもない。おそらくそれは彼が一番理解しているはずである。そんな中で自分の信念のもと周りの人間たちを助けてきたのである。それでは、その行為自体を否定したらどうなるか。
今まで関わってきた人間(敵味方問わず)がなんの取りこぼしもなく幸せな世界、家族と楽しそうにしているアニェーゼ、他メンバーと談笑しながらアイスコーヒーを楽しむテッラ、二万人以上の妹達を一人残らず救った一方通行、そして何より神裂、ステイルと楽しそうに遊んでいるインデックス。今まで彼が血反吐を吐いて救ってきた以上の幸せをいとも簡単に作って見せた。何よりたちが悪いのは、この世界が上条当麻という人間がいない事を前提として成り立っており、彼の存在がこの幸せな世界を崩壊させる一因となってしまうという点である。
他人を一番に考える彼がこの世界を否定し、ぶち壊すことはできなかった。自分以外のみんな、そして何よりインデックスが幸せそうだったから。 どんなつらい世界を何回も見せ続けようと折れなかった彼が、みんなが幸せな世界を見て初めて折れてしまうというこの構図がなんとも素晴らしいものであると感じた。ヒーローである彼が他人より自分を優先できるはずがないのだ。
二次創作のような幸せな世界がこれでもかという描写される中、彼の自己否定という名の人間的弱さもこれでもかと描写される。もちろんここまで彼の弱さがみられるのは初である。これまでは彼の強さがほとんどであり、彼の人間的弱さは約30巻ほどほぼ描かれていなかった。この緩急こそが本書の良さの一つであると考える。
ただただ幸せな世界の描写が彼の心を蝕み、読者ですらその幸せであるはずの描写に絶望感を感じさせる、素晴らしいと言わざるを得ない。 何をもってしても純粋な「ヒーロー」と言わざるを得ない彼を人間たらしめる要因となったこの世界は、上条当麻という人間に魅せられた人ほど心を折る理由としては納得しかないであろう。
しかしこの物語の本領はここではない、その後である。
心を折りに折られ、自殺を試みた彼に対してそれを止めた人物は総体であった。飛び降り自殺をしようとした彼を助け出したのだ。
詳細は省くが、彼女は作り替えられたこの世界で元の世界の記憶を持った数少ない人物であった。
そして彼女が彼を説得する中、次のような質問を投げかけるのである。
「あんた、オティヌスとかいうポッとでの黒幕にこれまで築きあけ上げてきた全てを奪われて、本当に何にも悔しくないの?/escape」 この言葉がトリガーとなり、凍った涙腺から涙をこぼすようにみっともなく、お世辞にもかっこいいとは言えない泣き言を4ページにもわたって吐露した。 上条当麻がヒーローではなく、一人の平凡な高校生になった瞬間である。
この4ページにもわたる泣き言は、先ほど言った通りお世辞にもかっこいいと言えるものではない。「俺だって悔しいよ」「もう戦えない」「オティヌスの方がより多くの人を救える」「俺なんかじゃかなわない」しかし今まで彼を見てきた私にとってはとても美しく思えた。彼の弱い部分での本音を初めて聞いた気がした。初めて彼に親近感を覚えた。他人を優先するがゆえに追い詰められた彼の本心であった。
そして、泣き言を全部黙って聞いていた総体が問いかけた。
「どうして『アンタの事情』は、『みんなの事情』と比べると無条件に一番下へしまいこまなくちゃならないの?/escape」 「一回くらい、自分自身を一番に優先したっていいじゃん/return」
言わずもがな、彼はヒーローである。詳細は省くが、「誰もが幸せな世界」である以上、この世界が続くと彼女の存在は消滅してしまう。であるため彼女は「この世界が存在する限り私が消滅してしまうから助けて」ともいえたはずなのである。実際それを言ったらヒーローである上条当麻は彼女を助けるために世界を壊しただろう。しかし、それをしなかった。その拳を自分のために振り上げさせようとした。元の世界に戻ったら一緒にみんなに謝ろうといった。世界中から悪意を向けられようと味方になるといった。その結果、彼の本心を引き出したのである。
「独りよがりだろうが何だろうが、他の誰の幸せになんか繋がらなくたって……やっぱり俺はあそこに帰りたいよ……」
彼が初めて他人より自分を優先した瞬間である。もう私は涙が止まらなかった。今まで自分を押し殺しても他人を優先して助けた。すべてを救って見せた。そんな彼が自分を優先した。彼を知る人ほどこれがどれだけのことかが理解できるであろう。そして、彼は彼のために、彼の帰りたい世界を取り戻すために、この「誰もが幸せな世界」をぶち壊し、オティヌスに戦いを挑んでいくのである。
本書の内容としては以上となる。もちろんここから先にオティヌスとの闘い、彼女の本心、そして上条当麻が彼女の理解者になる過程が描かれているのだが、これは上条当麻というよりはオティヌスの物語であるため割愛する。もちろんここの話も素晴らしい出来であるので読んでいない方は読んでいただきたい。もれなくオティヌスファンになること間違いなしである。
最後に
とりあえずこれで終わろうと思ったがさすがに過去レビュー貼り付けのみはあまりよろしくないと感じたので、少し短くはなるがここから私の癖?とやらについて語っていこうと思う。
私の癖は挙げると五~六つくらい出てきてしまい、全部上げたらそれだけで一記事文になってしまうので今回は以上でも述べたように「自己犠牲精神が限りなく強いキャラが自分を大切にする瞬間」というものをあげさせてもらう。
具体的な作品、エピソードでいうなら今回のとある新約9巻やリゼロ4章の「ありうべからざる今をみろ」などが挙げられる。
自己犠牲精神あふれるかっこいいキャラクターが肉体と精神をめっためたにやられた末に心が折れ、そして立ち上がる。このプロセスがとてつもなく好きだ。私に親近感を与えるとともにキャラクターの熱さ、カッコよさを再確認させてくれる。マジ惚れる。
やっぱり私はかっこいいキャラクターには逆らえない。このようなエピソードからはそんな私の本能とも呼べるものを再確認させてくれる。
追記:このレビュー書いているとき感極まって号泣しながら書いていました。かっこいいっていいね!
「異世界はスマートフォンとともに。」二期全話レビュー
まえがき
お初にお目にかかりますレビュー班班長のナガレです。 班員であるさつき3氏の過去のレビューの投稿を受けて、現班長である私も過去のレビュー記事を公開しようと考えた所存です。今回レビューする作品は「異世界はスマートフォンとともに。2」というものですが、これは当時リアルタイム(当時配信媒体であったAbemaが放送から一週間までしか無料公開していなかったため)で毎週書いていたものであります。媒体はコミケの本ということもありところどころブログ記事としてはそぐわなかったり穴があったりしますが、そこも締め切りに追われていた筆者の臨場感をそのまま残したいという考えのもと編集なしで公開したいと思います。 それでは本記事をお楽しみください。
初めに
皆さんは異世界はスマートフォンとともにという作品を知っているだろうか。あまりの出来にネット上でネタにされ、作中のセリフである「まるで将棋だな」はミーム化。主人公の名前を覚えていないという理由で主人公がスマホ太郎と呼ばれたことによりこの作品もスマホ太郎と呼ばれるようになった。その上この作品系統のアニメは二郎、三郎などと呼ばれてネタにされる始末。しまいにはニコニコで今作のmadとして当時ネタにされていた機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズとのクロスオーバーが作られ、そっちのほうが面白いといわれるという何とも不名誉なことも起こってしまっていた。ちなみに今紹介したクロスオーバーである「異世界オルガ」は面白いので機会があったら見てみることをお勧めする。これ系統では「オルガ細胞」が一番好きなことを教える。
そして、私はかなり前ではあるが「異世界はスマートフォンとともに」の一期をみた。正直に言おう、お世辞にも面白いと思うことはなかった。というか苦痛、もう二度と見たくない。二期を見るなんてもってのほかだ。ありえない。そこで、このレビューを読んでいる人は次のようなことを思うだろう。 「じゃあ、なんで見ようと思ったの。そしてなんでレビューしようと思ったの。」 結論を言おう、正直私もわからない。なぜかそういう流れになってた。ただそれだけである。一応どんな作品であれサークルが一丸となって作ったこの本で悪口を言うのは気が引けるので、できるだけ頑張ってネガティブな意見よりポジティブな意見を書いてこうと思う。
泣き言は言ってられないのでさっさと本題に入ろうと思う。
一話
まず最初に言おう、一期を事前に見ていた私は感動した。これを聞いた皆様方は「何言ってんだこいつ」と思っているだろう。そこでなぜそのように思ったかを説明していこうと思う。
感動した点として一期と何一つ変わっていないということである。制作会社が変更されるなどの変化があったのにもかかわらず 一期とほとんど変わらない作画、主人公マンセーのヒロインたち、何より聞いてて腹立つ主人公の声それぞれが一期のままお送りしている。このことより、私は懐かしさのあまり苛立ちより先に感動が訪れたというわけである。正直二期を見る人はどんな理由があるにしろ一期の状態のイセスマを求めてきていると思うのでこれは正直大正解といわざるを得ない。
そして 何より私が感動した点として大量に挿入されていたアイキャッチが減っているという点である。私が一期をみるのが苦痛だった一番のポイント が無性に腹立つアイキャッチが大量に挿入されているということであったので、私は大いに喜んでいた。 今までの味を残 して明らかに不評な点は改善する、これこそアニメの二期のあるべき姿なのではないかと私は思う。
主人公が街を歩くと当たり前かのように困った人が現れてそれを颯爽と解決していったり、初っ端から戦闘シーンで説明もほぼなかったり、二期第一話から温泉回をやったりなどハチャメチャしていた点は懐かしさをやはり感じる。あと個人的にちゃんとスマホを使っていたので言わせていただきたい。「えらいっ!!」
二話
この話では一期のopでいかにも重要な人みたいに出てきておいて実際には終盤しか出番がなく、その終盤でもほぼ情報があかされなかったキャラクターが出てきた。まぁ実際にここでも何か重要なことが明かされることはないのだが...…。
この話の良かった点としてこのキャラクターに伏線を張っていたということである。(名前を覚えるのがめんどうくさいのでここから先は重要そうな人と記述する。)
主人公一行は砂漠にいたのだがそこに重要そうな人が現れて苦戦していた敵を颯爽と倒して去っていく。ここで聡明な主人公はあることに気づく。それは暑い砂漠なのにもかかわらず彼がマフラーをしていたという矛盾点である。正直恥ずかしながらキャラクターの服装はただの作者の趣味としか考えていなかった。しかしそれには意味があり、それをちゃんと伏線として機能させた。私は少しイセスマをなめていたようだ。しかし、そんなこと言ってる主人公も首元にもこもこがついてる長袖のコートという明らかに砂漠ではおかしい服装をしていた気がしたがそれは私の見間違いだろう。
次に私がよいと思った点としてフレームギアという新たな技術を出して、それを即座には見つからないという展開にしたということだ。今までだと使えそうな技術は話が出た後すぐに出るという展開が多かったためこのように後に楽しみを残しておくこの展開はよいと思う。他に言う点としては、「なんかこれ前に見たことあるな……」と言いたくなるような、まぁよく言えばイセスマテイストの展開が続いた。
二話は最終的に伏線を張っておくという回となっていた。
三話
この回は一期とほとんど変わらずあまり語ることがない。と思いきや、以前にはっていた伏線の回収と世界観についてさりげなく説明している。
まず、伏線について語っていこう。作中でグラビティという無属性魔法を知ってすぐに主人公が使う。このシーンだけだといつも通り主人公の万能性を示し、「主人公最強」で終わるのだが一旦二期一話の最初を思い出してほしい。一話の最初では説明もなくいきなり戦闘シーンが入り、主人公が無属性魔法であるゲートを使って敵を上空にワープさせて落として倒すということを行っていた。当時私は「いつものイセスマだな」とバカみたいなことを思っていた。しかしそれは違った。ここで作者は伏線を張っていた。もうこれを読んでいる皆さんも気づいたことだろう。そう、ここで重力を活用して敵を倒すことができるということを見せている。そしてこの三話に続いているのである。つまり一話での攻撃方法を三話で進化させるということを見せてくれた。私はこの伏線に気づくことができなかった。私は少しイセスマをなめていたようだ。 しかし、主人公はグラビティの説明として重さを重くするとの説明していたのだがそれだけだと質量を変化させたのか重力を変化させたのかがわからないので主人公が重さという言葉を理解していないという結論に至ってしまうが、グラビティという魔法名があるので、さすがにほかの人に説明しやすいように重さという言葉を使ったのだろう。ここで主人公は他の人にわかるように言葉を選ぶという聡明さがあるということがわかる。
次に世界観について語っていく。主人公は目的の本を買うために本屋に行き本を買おうとした。そこでほしかった本は見つかったがそれは一冊しかない上に他にほしいという人がいた。そこで主人公は、躊躇なく本屋で買った本をまるまる複製して譲渡している。どう考えてもおかしい。彼は一応転生した人間であるため元日本人である。それならば著作権という考え方を普通ならば持っているはずである。それなのにも関わらずなんの躊躇もなく複製をしている。普通ならばこいつは常識がないんだなという考えに至るが実際に伝えたいことはそうではない。ここで伝えたいことは法律の整備が十分でないという世界観である。実際主人公は次の王様候補になっている。よってここで異世界の不便さを示すことによってここから主人公が王様になったときにこの国がどこまでよくなったかを示すことができる。つまり今の段階で伏線を張っていると考案する。そもそも次期国王候補である人間がこの国の法律を知っていないはずがない。後々この状況は変えるとして強引な手段はその前に使ってしまおうという打算的な考えを持っているのであろう。
この他に気になった点として作中の美少女が主人公をモチーフとした物語を書いていた。つまりこの美少女は作者がモチーフとみてもよいだろう。こんな作品でも作者が美少女とわかると怒りが収まるかもしれない。(イセスマ作者が本当に美少女かどうかは筆者は保証しません。)
四話
この話では出かけた際にトラブルに見舞われいつも通りヒロインを助けて惚れられるという、いつも通りのイセスマをお送りしていたわけである。女性の叫び声を聞いてそこを探し出し、女性を襲っていた敵を麻酔銃で倒す、このようなことを行ったわけだが、ここでおかしな点が出てきた。
叫び声がした部屋をスマホを使って探し出し、その部屋の扉をけり破った。ここまではいい、しかしここから衝撃の行動をとる。わざわざ勢いよく扉をけり破った後、なぜか敵の方向に前転してから麻酔銃で撃ちぬいた。ここで皆さんならこう思うであろう。「わざわざ前転する必要ある?」と。正直私は「こいつ、ただかっこつけたいだけだろ」と思っていた。しかし、この場面を考察するとこの行動こそが最善の選択であることがわかる。ここで主人公が取れる手段は他に三つある。ドア越しに麻酔銃を撃つ、こっそりドアを開けて不意打ちをする、そして勢いよくドアをけり破ったその瞬間に打つ。まず一つ目の手段である「ドア越しに麻酔銃を撃つ」について考案する。この手段でもよい気がするがいくら麻酔銃とはいえ襲われている女性を撃ってしまう可能性があるためこの手段は取れない。二つ目の手段の「こっそりドアを開けて不意打ちをする」関してだがこの場合、助ける前に女性が死んでしまう可能性がある。三つ目の手段である「勢いよくドアをけり破ったその瞬間に打つ」をとるにしてもその場に留まって攻撃するため、敵が銃を持っていた場合は反撃され、攻撃にあたってしまう可能性がある。よって主人公がとった手段こそが最適解であるという結論に至る。危険な状態の女性を見つけてからこの短時間で最適解ともいえる手段をとる主人公、戦闘IQが高いことが伺える。このような手段を考えていた主人公に対して「かっこつけていただけ」などという浅い考えを持っていたことがとても恥ずかしい。しかし、世界観からして敵が銃を持っていないということは明確であるということを考え付いてしまったが気のせいであろう。
他にも主人公の戦闘IQの高さを伺えるシーンがある。それは魔法が効かない相手に対して魔法を効かせるという発想である。相手は受けた魔法を吸収してしまうという特性を持つ。そこで主人公は魔法を相手ではなく相手の足元に向けて放つという特性を持つスリップを発動させた。これは、自分に向けられた魔法を吸収することはできるがそれ以外はできないという弱点を見抜いての行動である。このような弱点を即座に見抜きそれを実行するというこの頭脳。とても素晴らしいものがある。しかし、これをする意味として、ただ相手をあおるためだけという主人公としてはあるまじき行為なのだが高い戦闘IQを持つ主人公のことであろう、何かしらの意味があったのだろう。IQが離れすぎていると会話が成り立たないとはまさにこのことであろう。これからの戦闘での活躍がとても楽しみである。
この話は戦闘に重きを置いた話であった。
五話
この回では爆速で主人公に土地が与えられて国ができて王になった。そして国の設備も充実させ、崩壊した国の人々を受け入れて街を作っていた。このスピード感、イセスマって感じがする。
私が注目した点として建国のところである。城を作った後に崩壊した国の人々が大量に来た。そこで街を作ったわけであるが、そのあと国を発展させるために商人を呼ぼうと模索し、今までの人脈を活用してほかの国で店をやっている人に支店を出すように頼むなどして街を活性化させていった。正直ここら辺をしっかり描写したのは素直に感心した。しっかりしている。そのあと知り合いの国王たち を招待することになり娯楽を充実させて向かい入れた。娯楽の一つとして作った麻雀が自動式になっていところ地味に好き。最後に招待した人のために打ち上げ花火をやったのだが、ここで彼は打ち上げずに落とした。落とし花火である。これの理由として考えられるのは、空中庭園を所有しているということと、打ち上げるためのコストをカットしたかったというところであろう。
話は変わるが皆さんは空中庭園が上空何メートルにあるか考えたことがあるだろうか。ここで花火の玉を落としているため花火が爆発するまでの時間がわかれば求めることができる。作中から大きさは20号(直径60センチ)と推測することができる。また、導火線は定規で頑張って測って大きさとの比をとったところ12センチであることがわかる。転生者である主人公から見るに重力は地球とさほど変わらないと考えられる。空気抵抗は考えずに初速度をゼロする。重力をgとし、花火が爆発するまでの時間をtとすると式は(gt2)/2と表せる。一般的に導火線は1秒で1センチ燃えるとされている。重力加速度を地球と同じ9.8とすると706mとなる。20号の花火は通常500mで爆発するのでこれを考慮すると空中庭園は1206m上空にあることがわかる。どう考えても低い。少し高い山に登れば見下ろせるくらいには低い。参考に飛行機は上空10000mを飛んでいる。どう考えてもおかしいがよく考えてみてほしい。主人公はグラビティという魔法を持っている。これを使っていると考えれば重力加速度が大きくなる。つまり空中庭園はもっと上に存在することができるということである。そもそもこの素晴らしい頭脳を持つ主人公が庭園の位置が高すぎるということを考慮していないはずがないのである。揚げ足をとろうとした私が恥ずかしい。私は少しイセスマをなめすぎていたようだ。しかし、どう考えても魔法をかけるのには距離が遠すぎると思ったが気のせいであろう。 (いきなり空想科学読本のパチモンみたいなことをしてごめんなさい。反省してます。書くことがないんです、ゆるして。)
六話
この回では錬金棟を発見した後に嫁の実家にあいさつに行くという回であった。例によってすさまじいスピード感でストーリーという名のテンプレ展開が進んでいったわけだが、この回ではいくつか腑に落ちない点が出てきたのでそれを解説していこうと思う。 主人公が空中にいる敵への対抗策としてフライという空を飛ぶことができるようになる無属性魔法を探していたわけだが、ここで私はこう思った。「グラビティ使えよ」 忘れてしまった読者もいるかもしれないので軽く解説するとグラビティとは重さを変化させる無属性魔法である。三話の解説でも言った通り今回は重力を変化させるものとする。この説明の通り重力を操れれば空も飛ぶことができることはわかりきったことなのだがなぜか使わない。ここで私は「主人公がバカなだけだろ」と思ってしまったのだがよくグラビティの説明を見てほしい。説明では「重力を”変化”させる」と言っている。つまり変化させるだけであって新しく重力を作り出すことはできない。よって常に働いている重力を変化させて上や下、もしくはその場に留まることは可能であっても、空中にいる状態から横に重力をかけて動くことができないということである。しかしそうするとまた次のような疑問が出てくる。「空中で無重力状態にした後某ボンゴレファミリー10代目みたいに魔法を放ってその推進力で進めばよくね。」正直これも考えたが今までの魔法描写を見返してみると考えが変わった。自分が確認したものだけかもしれないのだが魔法を放った時の反動があまり見られないのである。つまり推進力を言うものが使えないという結論に至ってしまう。よって私が考案した方法で空を飛ぶことは不可能であることがわかる。普通に考えて戦闘IQがとても高い主人公がこのような手段を思いつかないはずがないのだ。このような主人公に対して「主人公がバカなだけだろう」などという浅い考えを持っていたことがとても恥ずかしい。私は少しイセスマをなめていたようだ。しかし無重力状態で風魔法を自分に当てれば簡単に進むという代替案が出てきてしまったがまぁ気のせいであろう。
あと今回の話で個人的に大好きなセリフは主人公の「お前らを作った博士はどうかしてる」である。私もこのアニメが始まった時から「お前らを作った博士はどうかしてる」と思っていたので私の声を代弁してくれた主人公には感謝の限りである。本当にありがとう。
あとついでに重要そうな人がまた出てきてフレイズの説明をしていたので結構重要な回であったりする。
今回は敵の新たな情報と重要そうな人に伏線を張った回であった。 レビューの残りがまだ半分もあると考えるか、もう半分しかないと考えるかは読者次第である。ちなみに筆者は「まだ半分もあるのかよ」と思っている。
七話
この回ではついに待ち望んだ「フレームギア」が登場した。正直このアニメを見るにあたって一番楽しみにしていた要素であったので少し期待した。まぁ実際はロボットでの戦闘はほとんどなく私の期待は崩れ落ちたわけであるが、まだ登場して初回ということもあるので気長に待とうと思う。
今回はこのロボットについてのレビューを行おうと思ったのだが、私はロボットというものに対しての 知識があまりに欠如していたので知り合いのロボット有識者にこのデザインと設定について講評をいただいた。
『本作ロボット、「フレームギア」は文明を滅ぼす怪物フレイズを倒すために作られた人型兵器である。そして武器は剣となっている。 今回第七話で出てきた「シュバリエ」は量産型という名前の通りシンプルなブルーのフォルムで、そのフォルムは90年代の異世界系のロボットアニメのデザインを踏襲しているが(代表作:「天空のエスカフローネ」)、無駄に角張が多いためミスマッチを起こしている。背景の時代がもう少し文明が進んでいたらあっていたのかもしれない。 頭部はデュアルアイ(二つ目)でレイアースからトサカを外して代わりに牛のツノをつけてつぶすと一番近い。 胸は胸部とガンバスター系のスリッドタイプの腰部で構成されている。 肩関節が丸みを帯びてまとまりがよく肘から下はガンダム・バルバトス第5形態、どうやって曲がっているのかがわからない。 股関節部分は騎士の鎧のようなスカート状のフロントアーマーと尾の長いリアアーマーを擁している。 膝にサーフボードを前から差し込んだかのような鋭利な膝当てをつけており外側のふくらはぎには装甲とスラスターらしきものが備えられている。足はガンダムでよく見られるタイプである。 コックピットは胸を盾に割ってさらに鈍角のL字型ハッチが上部についてある二段構造になっており、コックピット内部の装備で確認できたものはパイロットシート、操縦桿、ペダルノ三点。周りは板で囲まれている。全面がモニターになるタイプであるかは不明(描かれなかったため)。側面は、緑のラインと丸の二つで構成されているため、視野は正面のみと推測される。(練習用の画面という可能性はある)操縦桿は「操縦者の思考を反映する」の設定に基づいているからか、上部にボタンらしきものがついているのみでシンプル。ただ、劇中でも「補正」と明言しているため正直どうやって操縦しているか皆目見当もつかない。 実際に動いているシーンも少なく魅力もまだつかめていないため今後に期待する。』
というような講評をいただいた。
露骨に批判的な内容 は控えてほしいという条件も飲んでここまで書いていただいた友人にはあとでハーゲンダッツを贈呈しようと思う。
正直このロボットに関しては場面が切り替わるとデザインが変わっているというようなお粗末な面も見られたが、まぁ初回ということもあるので今後に期待したいと思う。 今回は以前伏線を張っておいたフレームギアの伏線回収という回となった。
八話
この回では簡単に言うと他国のトップがクズなので世直しを行うというものであった。この話の存在意義としては嫁の妹を婚約者候補に加えるというものであるため正直話の内容は問題ではないであろう。
これで今回のレビューは終了とする。
ここで皆さんは次のようなことを思うであろう。「今回のレビュー少なくね」。
弁明させてもらうと八話は話の構造が妙に複雑なうえにやりたいことが物凄く単純であったために筆者のお粗末な語彙力だとまともにレビューが書けなかった。それでも四時間ほどかけて書き終えた渾身のレビューは添削者に「何言っているかわからない。ボツ」とおよそ1000文字のレビュー分は跡形もなく砕け散ってしまった。
これらのことは筆者の能力不足により起こってしまったことである。本当に申し訳ありません。
今後はこのようなことがないようにここから先の話が単純であることを祈ることとする。 それでも「また同じようなことがあったら今回みたいに謝罪でごまかすんじゃないの」、「書かずに逃げるんじゃないの」と思う人もいるかもであろう。ここで宣言する。今後このような事態があったら筆者の土下座写真を添付する。そして絶対にこのレビューから逃げない。添削者から「君のレビューを読む人の身にもなってほしい」との言葉もいただいたが絶対にやめない。おそらくこの文も読まれているが知ったことではない。
最後に重ねて本当に申し訳ありませんでした。
九話
この回は前半は日常回、後半はストーリーパートを行う回であった。まず前半について語っていこうと思う。
今回は珍しく前半にストーリーに全く関係ないパート、つまりただただヒロインたちがかわいいという「ご褒美会」という内容であった。
正直この作品のヒロインたちはよくわからない理由ですぐに主人公に惚れたり、外見がどことなく東の方の巫女さんや半分霊で半分人間の剣士さんに似ているキャラがいるなどおかしい部分は多々見られるが正直ポテンシャルはあると思っている。
某作品を知らない人は変な違和感を持たずに視聴できるし、主人公に重きを置かない人なら十分「ヒロインが可愛い」という理由だけで見続けることができると思っている。残念ながら筆者は中学の時、某作品にハマった過去がある上に主人公至上主義者であるため絶望的に合わなかった。そんな私だが実際不覚にも一瞬「このキャラ可愛いな」と思った時があるので何かが噛み合ったら「ヒロインだけで見れるアニメ」としての地位を築いていたかもしれない。
実際今回のストーリーでもいつもとは違う服装で楽しんでいるヒロインの姿を見せてくれるためファンの方にはたまらない内容となっている。
正直意味の分からないストーリーをやったり主人公が謎行動をする回よりかは大いに楽しむことができた。特に面白かったポイントとして、なぜか主人公一行が急にごろつきたちに絡まれるわけだがごろつきたちの服装が明らかに世界観にあってない「199X年 」 ファッションであったことには数分間腹を抱えて爆笑していた。
後半の話は「フレームギア」を量産するためにオリハルコンの調達をするというものであった。
そこで「フレイズ」と戦っている女性を発見する。何か同じようなことを前に見たことあると思うが続ける。前に倒した「フレイズ」で作った剣でいつものように無双する。そして襲われていた女性が王女だと判明。その後彼女に「フレイズ」の剣をプレゼントし、主人公に惚れる描写が入る。
もう何も言うまい。
個人的に「フレイズ」の魔力を伝えると強度が高くなるという特徴と主人公の膨大な魔力量を生かして剣を作るという発想はとても良いと思った。半透明の剣は結構ロマンがあると思っているのでこの剣のデザインは結構好きであった。
今回の収穫としては「フレームギア」が再び動いていたということである。まぁ動いていただけだが……。戦闘シーンが早く見てみたいものである。 今回は「ご褒美回」であった。
十話
この回は新しい婚約者候補との出会いと石化させてくる魔獣を討伐するという内容であった。新しい婚約者候補が出てきたわけであるが、キャラクターの特徴として感情や表情をあまり表に出さないというものであった。キャラ的には筆者の好みの性格をしていた。このことによりこれから先の話が少し楽しみになったが残念ながらあと二話しかない。まぁこれからの二話でもあまり活躍はないとは思うが...…。
個人的に話の前半で驚いた点として主人公はピアノを弾くことができるという点である。話の流れで主人公がピアノを弾く場面があるのだが、ある人物がアカペラで歌っていた歌を一回聞いただけでそれの伴奏等を即興で作り上げて弾いていた。彼は「ピアノは昔やっていた」的な言葉を言っていたのだが正直そのレベルではない。そのうえ今までの話を見てもピアノに執着していた場面が見受けられないことから幼少からずっとピアノをやっていた可能性はないだろう。もしそうであったらある程度自由な時間ができた時期からピアノを触っていたであろう。このことから彼はピアノの天才であることがわかる。本作では基本的に”異世界に行った後”の主人公しか描かれないため”異世界に行く前”の主人公の姿に触れることができるのは少し新鮮で面白かった。
次に後半の石化の魔獣についての話をしようと思う。話といってもただ石化させる目を持つ敵と戦うだけの話であった。これだけでは面白くないのでここで石化について考察しようと思う。
この石化の特徴として目と目が合ったものを石化させる、石化は地面と接しているところ、あるいは地面に近い点から始まるというものである。しかし主人公が魔法で空を飛んでいるときは石化が起こらず地面に足がついた時点で足から石化が始まったという点から実際は、一旦目が合っても空中にいる場合石化が起こらないが地面についた時点で石化が始まるというものであると推測できる。
ここで気になる点が出てきた。「なぜ石化は空中では始まらないのか」という点である。これについて一時間程度考えたところ次のような結論に至った。この技は石化ではなく「対象が触れている土の属性を持つものと同化させる」土属性の魔法であると考えた。ここでの土の属性を持つものとは土、砂、岩石等の物であると考えられる。実際地面(土)に接してからそこを中心に土との同化(石化)が始まっているためおそらくあっているであろう。
ここで皆さんは次のようなことを思うだろう。「なんでわざわざ地面から石化するなんてよくわからない設定の技にしたの」と。答えは一つ、ヒロインのパンツを石化させるためである。何言っているかわからないと思う方は十話を見てきてほしい。おそらくこれがやりたかっただけであろう。わざわざ考案した自分が馬鹿らしくなってきたところで今回のレビューは終了する。
十一話
アニメ「異世界はスマートフォンとともに」十一話。この言葉の意味を皆さんは知っているであろうか。この言葉には皆さんが想像している以上の意味がある。レビューに入る前にこの言葉の意味について解説していこうと思う。
なぜ「異世界はスマートフォンとともに」という作品が(いい意味でも悪い意味でも)ここまで有名になったか、皆さんは考えたことがあるだろうか。大ヒットしたアニメ「鬼滅の刃」ですら最初の一話から現在のような人気があったわけではない。話のクライマックスでありufotableの作画力が爆発した十九話で今のような人気を獲得したのである。そして「鬼滅の刃」十九話にあたるのが「異世界はスマートフォンとともに」十一話なのである。
それでは第一期「異世界はスマートフォンとともに」十一話がどのような点で視聴者に強烈な印象を与えたのか。その答えとは、「原作小説二ページ分をそのままアニメ一話分までもっていったと」ということである。
普通に考えたら無謀という言葉では済まないようなことをあろうことか今作でやってのけたのである。その後十一話が有名になったことで今作を視聴した人が「あれ、十一話以外もやばくね。」となったことで十一話だけでなく今作全体が(いい意味でも悪い意味でも)広まったということである。
それではレビューに入っていこうと思う。
この回は新しい婚約者候補の追加と他国と同盟を組むという話であった。同盟を結びに来たはずがなんか勝手に他国の王女と主人公が国の王の了承も得ずに婚約するなど普通に考えておかしい点が多々あったが問題はそこではない。この回の一番の問題とは「コイバナ」シーンであると考える。
ここはただただ主人公のことをヒロインたちが褒めちぎるというシーンである。 筆者の感想としては今作二期で一番きついシーンであった。これといった魅力を感じない主人公をただただヒロインが褒めちぎる図は主人公至上主義者である筆者にはとても見ていられるものではなかった。しかしよく考えるとこのシーンは今作において重要な役割を担っているものであると考察することができた。
このシーンの意義とは「今作が好きな人を判別する」というものであると感じた。以前も述べたように今作を楽しむことができる人の条件として「主人公に重きを置かない人」、「ヒロインが可愛いかったらそれでヨシ」のような人があてはまると考えている。そしてこのシーンは先ほど述べた条件に見事に一致しているのである。これといった魅力を感じない主人公をただただヒロインが褒めちぎる図というのは見方を変えれば「かわいいヒロイン達が楽しくコイバナをしているのを見ることができる」ということでもある。よってこのシーンを楽しむことができる人は少なくともアニメ範囲の「異世界はスマートフォンとともに」に適性があるということである。楽しめなかった人はここで視聴を中断することをお勧めする。
十二話
この回は新しい空中庭園の発見とただただヒロインとイチャコラするという内容であった。イセスマの最終話らしくなんかどこかで見たような展開てんこ盛りかつ、キスシーンが七回も入るという大盤振る舞いであった。そして重要そうな人は重要そうなまま終わった。悲しいなぁ……。まぁ今回はなんて事のないいつも通りのイセスマであったわけであるが一つおかしな点が出てきた。
空腹のキャラクターに食べ物を与えるために「ストレージ」という無属性魔法(ドラえもんで言う四次元ポケットのことであると考えてもらってほしい)を使って食べ物を出したのだが、ここで出てきた食べ物に湯気が立っていた。さすがにおかしい。普通に考えて冷めるはずである。ここで私は「ストレージ」という無属性魔法には収納した物質の時間を止めるという能力があると考えた。しかし、実際そんな設定はない(あったらすみません)。なぜ湯気が出ない食べ物を出すことができたはずなのにあえて湯気が出る食べ物を出してきたのか。最初は「何も考えてないだろ」などと思っていたがよく考えた結果次のような答えが出てきた。
主人公は食べ物を要求されたときに「ないことはないけど……。」的なことを言っていた。この言葉の意味は「ストレージの空間に食べ物はないけど出す方法はある。」ということなのではないだろうか。それではその食べ物を出す方法を考察していく。その方法は「ゲート」(ドラえもんのどこでもドア兼お取り寄せバッグだと思ってほしい。)という無属性魔法である。「ゲート」で出来立ての食べ物を持ってきてそれを出すことをしたと考えると辻褄が合う。ここで読者の皆さんは次のように思うだろう。「ストレージっていう魔法を使った描写はあるけどゲートを使った描写はないよ」と。確かに作中で主人公は魔法を使うときに「ストレージ」と言った。しかしよく考えてほしい。「ストレージ」と言ったからといってその魔法を使ったとは限らないということである。
このことから今作は皆さんが持っている魔法を使うときはその魔法名を言うという先入観に対して、そのような先入観は果たして本当に正しいのだろうか、そのような先入観が自ら視野を狭めているのではないのかといった哲学的な問いをしているのである。 読者が無意識に持っていた先入観の狭さを気づかせるという素晴らしいシーンに対して「何も考えてないだろ」などと思っていた自分が恥ずかしい。私は少しイセスマをなめていたようだ。しかし今までの描写で口で言った魔法名と違う魔法が使えるという描写は存在しなかった上に説明すらなかった気がするがまぁ気のせいであろう。
今回はイセスマらしい最終回であった。
終わりに
完走した感想ですがほんとにきつかった。abemaTVの策略ということもあり放送一週間以内にアニメの視聴、レビューを終わらせないといけなかった。個人的にこれが一番つらい。そして八話以降土下座の恐怖を持ちながら今作を視聴するのも気が気でなかった。一週間の始まりをこんなに恐怖したのは久々であった。
筆者の愚痴はこれくらいにして今作の総評を話していこうと思う。 結論を言うと筆者的には「世間で言われているほどひどいものではなかった。」という感想を持った。「話の作り的に合う人にはとことん合うがそれ以外には合わない」と表すのが最も適当であろう。
他の良い点としては、一期の特徴はそのままにして明らかに不評な点を変えるという点、テンポよく話が進んでいった点などがあげられる。
「主人公を重要視しない」、「ヒロインが可愛ければそれでいい」、「頭を空っぽにしたい」という人にはぜひ進めたい作品である。
最後にここまでレビューを見てくださりありがとうございました。あなたはイセスマ二期の一割くらいは理解できました。そのまま本編に進みましょう。
『先輩はおとこのこ』アニメ化&『JKおやじ!』完結記念レビュー再掲!:「”男の娘”と学校と家庭」(Celaborate 47より)
皆様ごきげんよう*1。私は筑波大学現代視覚文化研究会レビュー班のさつき3と申しますわ。
当ブログについて、2021年に「キモオタ」を公開してから約3年以上更新が止まっていました。
実際のところは2023年末あたりには編集権限などの整理が完了し、再度記事を投稿可能な状態になっていたのですが、
肝心の記事を書く余裕が現会員の誰もなかったため、その後もしばらく更新が止まっておりました。
今回の記事を持って、再度のスタートとさせていただければと思います。
さて、話は変わりますが、自分は「男の娘」という存在が好きです*2。
今「男の娘」といえば!そう、
めいぷるちゃん
LINEマンガで掲載されていた『先輩はおとこのこ(ぱいのこ)』の花岡まことですね。
『先輩はおとこのこ』のアニメ化が決定し、今年の夏からノイタミナ枠で放映*3すると聞き、テンションが上がっていますが、
実のところやや不安な部分もあります。なぜ不安かというと、「まことの顔が良すぎるから」です。本気で言ってます。
個人的に『ぱいのこ』で起きる事件の大半はまことの顔が良いから起きていて、顔がそんなに良くなければ特に物語にならなかったのではと考えているくらいです*4。果たしてアニメという媒体で表現されることによって、この印象に変化が生まれるか注目したいところです。
(これで視聴後の感想が「声も良い」とかになったらどうしようか)
そして賢明な読者の皆さんであれば当然、 『ちゃお』で掲載されていた女装男子?4コママンガである『JKおやじ!』の花野なでしこのことも思い浮かんでいるかと思います。 こちらも2024年5月2日発売の6月号にて約11年の連載に幕を閉じ、完結しましたね。自分は単行本勢なので6月の第5巻発売をしみじみと待機したいかと思います。果たして九郎くんはなでしこちゃんと同じ籍に入ることはできるのか(もうしてます)!注目しています。
そんなタイムリーな「男の娘」情勢について、自分は奇しくも2022年の12月、本会の会誌である「Celaborate 47」においてこの2作品を「学校制度」や「家族」を中心に比較した*5レビューを執筆しておりましたので、そちらについて以下に再掲したいと思います。
誤字脱字を除いて基本的に掲載当時の内容をそのまま再掲しておりますので、『ぱいのこ』は5巻掲載分以降についてはLINEマンガの方を参照していて、当時はアニメ版のまことの声優が男性だと判明していなかったり『であいのこ』が連載開始していなかったり、ぽむ先生的にはまことのことを女装男子と認識していることを知らなかったりします。また『JKおやじ!』も4巻の内容までなので、それらの最新展開を追っている皆様からすると鼻で笑ってしまうような誤読などがあるかもしれません。もっと言うと「別項で検討したい」みたいなこと書いてある部分についてもここ1年半で何も書き進められていないのですが、その際はコメント欄などでお手柔らかに鼻で笑ってください。
*1:2005年前後に当サークルで流行っていたらしい挨拶。「マリみて」の影響らしい
*2:定義の話をすると無限地獄に落ちそうなのでウィキペディアンにお任せします
*4:現在のレビュー班で流行しているロバート・マッキー『ストーリー』で用いられている語に依るならば「契機事件」でしょうか
*5:と言いつつ『ぱいのこ』が中心になっている
新年のご挨拶・冬小冊子の公開
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
筑波大学現代視覚文化研究会、レビュー班です。
早いもので2021年となってもうすぐ1ヶ月ということに驚いております。2020年という年が本当に存在したのか記憶が曖昧なのですが、ボーッとしているとさらに1年消し飛んでしまいそうに思えますので、なんとか今やれることをやっていこう、と思っております。
さて、現視研では毎年コミックーマーケットに参加しており、我々レビュー班も班独自の小冊子を刊行してまいりましたが、昨年は新型コロナウイルス感染症の拡大によりコミックマーケットが開催されませんでした。夏の冊子は「ComicVket」に参加することにより頒布することができましたが、冬は諸般の事情により冊子を出す機会に恵まれませんでした。
……というわけで、今シーズンの小冊子はpdfとして公開いたします。以下のリンクよりご覧いただけますので、よろしくお願いいたします。
なお、今回のタイトルは従来の『キモオタ (西暦年)Winter』ではなく、『キモオタ 2021 January』といたしました。これは、冊子刊行の機会に今後も変更がある可能性や、これまで年4回としてきた刊行を増やし、活動を拡大することを考慮すると、季節名を付して季刊の体をとることは不適切だと考えられるためです(たとえば、例年通り春の新歓期に『Spring』というタイトルで刊行してしまうと、2021年は5月に開催予定のコミックマーケットに、どんなタイトルで出したらよいかわかりません。ここに無理矢理『Summer』として出してしまうと、仮に7・8月頃に刊行したい、となった場合にタイトルがありません)。したがって、月の名前を付してはいるものの、必ずしも月刊になるということではありませんので、ご承知おきください。
それでは、みなさまのご健康とご多幸をお祈りして、新年のご挨拶と代えさせていただきます。
暗号化された日記帳を解読し、著者の過去に迫る 「The Wake : Mourning Father, Mourning Mother」レビュー
はじめに
お久しぶりです。筑波大学現代視覚文化研究会レビュー班のRitoと申します。
以前このような音声作品のレビューを書いた者です。
今回は、インディーズゲーム「The Wake : Mourning Father, Mourning Mother」を紹介したいと思います。
ゲーム内容
このゲームは、「Replica」や「Legal Dungeon」を制作したSomi氏による最新作。
プレイヤーは、パタパタ時計のような日記帳の、ところどころ暗号化されているページを読めるように復号しながら読み進め、日記帳の内容に近づいていく。


暗号を解読する、と聞くと非常に難しいゲームに思えるかもしれないが、実際のところはそこまで難しくない。章ごとにメモが印刷されヒントをくれるほか、暗号を解きやすくする道具もいくつか存在する。さらに言えば、アルファベット26文字全ての変換を当てる必要も無い。5文字分変換をすればあとは自動で日記帳が変換してくれる。

変換に成功すると日記が読めるようになり、物語が進んでいく。そこまで難易度の高くない暗号ではあるものの、意味不明だった文字の羅列がきれいな文章になるのはとても気持ちが良い。
日記帳には、著者の祖父の葬儀が行われた数日間が描かれている。そこには著者と父母や親族との関係が、いくつかのエピソードを交えて綴られており、読み進めていくうちに著者や父母の過去が明らかになっていく。少しづつ著者や周辺人物の複雑な感情が伝わってくる感覚は、ゲームシステムも相まって非常にノベルゲーム的といえるだろう。
まとめ
最後に述べた通り、ノベルゲームやADVが好きな方には非常におすすめできる作品。プレイ後は、小説(というよりかは映画かもしれない)を一本読んだような満足感がある。 また520円と安価なので、少しでも興味があれば買ってみてほしい。ただ、歯ごたえのあるパズルを求めていると拍子抜けかもしれない。 もし先に紹介したSomi氏の2作に興味があれば、Steamでのバンドル販売もあるのでよりお得だ。
この記事を読んで、このゲームに興味を持ってもらえれば嬉しい限り。
(※画像は全て自前のスクリーンショットを用いています。)
京アニのFAZZ『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』レビュー
「京アニのFAZZ『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 レビュー」

【引用元:
公式twitter https://twitter.com/Violet_Letter】
本作は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の総締めとして京都アニメーションにて制作された。
この映画を端的に評価するとすれば、「とにもかくにも登場人物たちに甘い選択肢を取らせてくれる、パワー型感動作品」といえる。これについては少々⾧くなるため最後に述べるとして、演出面等々の評価を先んじて述べておくとする。
※本レビューにはネタバレが含まれます。
演出
非常に良い。作画由来の美麗な世界観・キャラクターの表情がメリハリのある SE・BGMによってより強調されている。構成要素としては非常に素晴らしい。が、反面暗い部分があまりにも暗すぎるため、あまりに見にくく、“劇場版”つまりは映画館で放映するという条件に合っていない等々粗が目立つ(本来はブルーレイでの修正でやること)。また、演出が良い反面、後述する構成等々がよろしくないため安易なお涙頂戴もののような印象を与える。「絵と音で泣かせる映画」と言われてしまうとぐうの音も出ない。
昨今の京都アニメーションのクオリティは安定しており、眼福であった。特に今作は自然物を描くことがシナリオ上役割が大きく、それを描き切ったことは手放しに称賛したい。個人的には雨の描き方の巧みさ・力強さ故に「悲しい+雨」という典型にも新鮮さが大なり小なりあったものと思う。ただ、淡さのあるヴァイオレットの絵が個人的には好きだったのでもっと増やして欲しいとも思った。
声優陣の演技
やはり最終章ということもあり、声優に対する要求も高まってくるのは当然であるが、主人公から端役にいたるまで演出・作画に負けない演技を拝見することができた。特にヴァイオレットとギルベルト、ホッジンズの三人は“静と動”をキッチリさせることが極めて重要となるため、前者二名は「悲哀」そしてホッジンズは「怒り」を要所に叩き込む必要があった。
さらに言えば、作品柄においては“やるせなさ”を強く描く観点上、うじうじとため込んだ状態から感情を爆発させるという同じ感情の違う表現が欲されたが、各キャストはしっかりとその任を果たしたのである。ユリス役には水橋かおり氏と、配役も良いものであった。ただ、本作において特に賞賛したい人物が他にいる。それは、ディートフリート・ブーゲンビリア(CV:木内秀信)である。この人物、非常に厄介な面があるのだ。
というのも、始めの 3 人がうじうじとしながらも“静と動”を持っていた反面、彼だけは“静”の状態のみを背負わされたキャラクターである。
初登場は冷徹な軍人であり、基本スタンスは物静かな人物だ。ヴァイオレットとの再会後についても、自身の負い目やギルベルトへの想いがある故、彼に依存するヴァイオレットに強い態度をだせない、あるいはしおらしさがでてしまう。どの方向を向いても“動”から遠ざかってしまう人間だ。したがって、ギルベルトとの再会時には色々な感情があったものの元来の性格と状況によって声を荒げることすら出来なかったわけであるが、これを木内氏の絶妙な演技によって表現し切ることに成功している。
彼については脚本等でも述べることに加えて、今回から「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」における筆者の推しキャラとなったため、バンバン売り込む所存である。
構成・シナリオ
問題はここである。『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、とにもかくにも素材が良い反面、活かせていなさ加減が目に余る。描写不足も多い。
良い点については、手紙と電話の対比を描いたことなどがある。
複数のストーリーラインを扱えていない
「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はヴァイオレットたちを描く本筋とは別に、以前に登場したアンの孫デイジーがヴァイオレットの旅路を紐解こうとする、スタート兼締めを担当するスト―リーが描かれる。加えて、ヴァイオレットの依頼主であるユリスも一応ではあるが別口に話が進行していく面がある。
第一に、デイジーの話はヴァイオレットの足跡を辿っていくという基本コンセプトがある。しかし、それがやたらと少ない。映画内で彼女のストーリーは完結するから仕方ないともいえるが、最初から映画で締めるつもりであるならばテレビ放送→映画を股にかけさせれば良いはずだ。
例えば、
テレビ放送
私はある人を追っている。彼女の名前はそう、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
→ヴァイオレットのスト―リーの節々の入るデイジーの旅→
劇場版
デイジーの旅の理由
→博物館→島
でも良かったのではないだろうか。
本作品ではデイジーの訪れる地点・描写の少なさのせいで小休止のような役割が果たせず、強引な挿入が目立つ。また、デイジーの物語自体も描写不足により登場する人物の想いが分かりにくい(母の「子を思う気持ちの描写」がないのは致命的か)。こういった点から、あってもなくても誰も気にしない内容であった。
次に、ユリスのエピソードである。ネット上では「ユリスで泣いたけど別にやっても良かった」等の感想が見受けられる。しかし、違う、そうじゃない。
ユリスのストーリーが別で良かったと思うのは、ユリスの話が自己完結してしまったからである。作中、ヴァイオレットにはユリスのもとに向かうか、否か(ギルベルトを優先するか)の選択(可能かは別の話)が発生する。実際のところは電話を用いため、ユリスの案件が勝手に解決してしまうわけで、ヴァイオレットはギルベルトに専念可能となった。これが問題なのだ。
このシーンはユリスというキャラクターの持つ、作中での屈指の盛り上げ場である。しかし、肝心の主人公ヴァイオレットが蚊帳の外だ。別々のストーリーラインが各々完結することは珍しくも何ともないことだが、それは物語同士が絡み合い干渉しあうという前提が存在してこそで、間違っても完全独立してはいけない。ことユリスにいたってはヴァイオレットに色々な想いを吐露したのにも反して、最後にヴァイオレットはどうしているのか、を問う以外にヴァイオレットの存在を感じさせない。つまり、ヴァイオレットは居てもいなくても問題がないのである。本来は、ここにヴァイオレット自身からのアプローチあるいは、指切りを含めたヴァイオレットとの関わり合いの回想を一瞬入れ、ヴァイオレットへ激励するといった流れが加えられることで同時進行のストーリーをキッチリ嚙み合わせる必要がある。それがないために共に完結に向かうのではなく、「各自」終わるだけなのだ。ヴァイオレットが主人公であるのにもかかわらず、だ。仮にも「ボーイミーツガール」なのだから、互いの出会いが互いの変化に寄与しなければならない。
言ってしまえば、ユリスには「描写」が、ヴァイオレットには「変化」がない。これが「別々でも良かった」と思う原因である(あるいは、ユリスがアンのエピソードの二番煎じの域を完全に脱することが出来ていないのも理由の一つか)。
キャラクターの直面する壁がない
本作においてとりわけ感じたのは、登場人物に対して辛い選択肢を取らせない点である。ここではキャラクター別にその点を批判したい。
※「親離れ・子離れ」といった要素を意識して欲しい。
○ヴァイオレット・エヴァーガーデン
問題点:せっかく用意された二つの選択肢の片方が勝手に解決
前述したようにヴァイオレットには(できるかは問わず)二つの選択肢が用意された。「ユリス」をとるか、「ギルベルト」をとるかである。したがって、ヴァイオレットは苦渋の決断を迫られたわけだ。仕事もギルベルトも大切に出来るヴァイオレットには辛いハズだが、本作ではユリスをギルベルトからの逃避先としてしか用いていない。ただ、これについては周囲の大人(該当者 1 名)が強く出なかった点も大きい。両取りをするならばもっと良いやり方(後述)があったはずだ。
とりわけこの作品の締めには、価値判断の依存脱却、つまりは「親離れ」をすることで一人の人間としてのギルベルトを愛“する”(恋をするニュアンスに近い)ことが肝となるわけだが障害もないために、なんとなくなあなあで終わった印象が強い。成長のわかる言動を肝心のギルベルトに対しては終止発揮できていないのは、成長物語の終幕として如何なものか。
○クラウディア・ホッジンズ
問題点:「親」を意識しておきながらヴァイオレットに終止甘すぎる
ホッジンズは劇中でギルベルトに対して声を荒げた。子安氏の演技の迫力に肌を震わせたものだが、問題は怒りを露にする対象、内容である。要はギルベルト一人に「馬鹿野郎」のみでは意味がないのだ。
実はこのシーン、振り返ってみると、
相思相愛の状態の女の子の告白→男はうじうじ→女の子は泣いて逃げる
→友人「馬鹿野郎!」である。
このことからも分かるが、彼にはヴァイオレットとギルベルトに発破をかける役割がある。しかし、主人公ヴァイオレットにはとことん甘いのである。
ここにおいて彼に求められるのは、選択を「迫る」行為だ。ヴァイオレットに「嵐だから行くのは無理だ」などを言うことではない。「過保護」と称される男に、娘のような存在に対して酷な選択をさせる、という辛い決断(つまりは"子離れ”)が必要であると言っている。
苦しいことだからこそ、成⾧し乗り越える必要と価値が出てくる。大切だからこそ、逃げ出そうとするヴァイオレット、そしてそのヴァイオレットから逃げようとするギルベルトを一喝しなければならない。本作ではそういった辛い役回りを何故かとらせない。そして、とらせないからこそヴァイオレットの選択肢は自然消滅してしまうという流れに落ち着いた。要するにヴァイオレットの意志が事態を動かす契機がないのである。重ねて述べるが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の主人公はヴァイオレットである。ギルベルトだけに怒りを露にしても本作は『劇場版ギルベルト・ブーゲンビリア』ではないのだ。
個人的には、荒ぶるホッジンズ演じる子安氏が輝くシーンで魅せて、後日談において「息子でも娘でも自分は保たない」フラグを男女の双子が産まれることで回収してくれることを望んでいた。
ここからは逆に重荷を背負った人物。
○ディートフリート・ブーゲンビリア
特徴:自己完結型人生ハードモード
彼には辛いことが続いた。弟への負い目、弟の死と向き合うこと、自身の罪と向き合うこと、死んだと思われた弟との再会(調査も担当)、大切に想う(精神がボロボロの)弟を非難し発破をかけること、これだけある。そして、その結果として弟に己の人生を生きさせ、自身は反発していた「家」を継ぐことを決心する。制作上ではもしかしたらヴァイオレットにホッジンズ、ギルベルトにディートフリートという対比をとったのかもしれないが、ご覧のあり様だ。ちなみにディートフリートの言葉は最後の一押しであり、本来ギルベルトを変える言葉としては位置付けられない。ギルベルトに必要なのは、ヴァイオレットへの罪の意識はギルベルトが勝手に背負っているだけのもので当の本人は気にしてなどいない、と気付くことである。それを踏まえると、「愛している」以外の話題から離れないヴァイオレットも含めて肝心な要素が劇中一切解決していないのである。やっていることが主張の銃撃戦でもあったりなかったり。本当に向き合っているのか怪しい限りだ。
もしもディートフリートにヴァイオレットに対して「お前は結局、弟の道具で“あり”続けるのだな……。少しは自分の言葉で話してみろ」とでも言わせてみれば、覚悟ガチガチの鉄心ヴァイオレットが見られたのかもしれない。とにもかくにも筆者個人はディートフリートこそが主人公ではないかと感じた。『劇場版ディートフリート・ブーゲンビリア』

【引用元:『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト】
「指切り」の使いどころの無理矢理感
今作では「指切り」が象徴的に使われた。そして、指切りをする二人を最後に物語は完結する。しかし、だ。指切りとは約束、つまりは事前に行うものである。したがって、指切りのみを見せるならば相応に手順を要する。
そこで重要な転換点となるのがヴァイオレットとギルベルトが月下で向き合うシーンだ。正直なところ、面会させてどうする。ヴァイオレットが海に飛び込むのは良いが、後の再会を狙うならば、海中のヴァイオレット&崖の上のギルベルトを最終ポジションとすべきであろう。肉体的接触は、やはり言葉での接触を上回る位置付けにある。したがって、扉越しや視覚でのみの接触を最後まで貫き、エピローグにて指切りする二人を映すほうが演出としてはカタルシスに溢れていたと思う。つまりは、海中のヴァイオレット&崖の上のギルベルトが言葉にてお互いの想いと約束を伝え合い、約束の内容は「今度はちゃんと指切りをして約束し合う」といったものとする。ただそれだけでラストシーンの意味は違ってくる。
こういった風に徹頭徹尾貫く場所がおかしいのが本作である。とにもかくにも、最後までギルベルトとは面会させないというスタンスを守り切らないのには疑問を呈するという話だ。
余談 ホッジンズはどうすれば良かったのか(簡単なプロットの提示)
――ユリス or ギルベルト
「ユリス様の元へ向かいます」
「ダメだ!」
驚くヴァイオレット。
「今ギルベルトの奴を放っておいたら、君もアイツも二度と向き合えなくなるぞ」
「しかし、ユリス様は危篤状態です。私が今行かなければ。それに少佐は……」
ホッジンズがヴァイオレットの肩に両手を強めに置く。驚くヴァイオレット
「ヴァイオレットちゃん、君にとってどっちが大切なんだい? 依頼人とギルベルト、君
はいったいどう選びたい?」
「私は……私は……!」
ヴァイオレットうつむく。
―ヴァイオレットの人生の回想―
ヴァイオレット顔を上げる。
「どちらも大切です! 依頼も、少佐も、どちらも私にとってかけがえのないものです!」
「なら、どっちも放しちゃだめだ」
優しくヴァイオレットの両手を掴むホッジンズ。
「君にはその両手があるんだから、一度掴んだなら絶対に手放しちゃあいけない!」
「ではどうすれば……」
「生憎うちにはヴァイオレットちゃんの他にも優秀な社員がいてね」
電報にてホッジンズは部下に指令を出す。
以後は電話でのユリスとリュカの対話、ユリスは手紙をリュカに残すことを伝える。
アイリスは電報にてユリスの言葉を中継、ヴァイオレットは手紙を書き上げる。
ユリスは最後にヴァイオレットへ励ましの言葉を送る。
ギルベルト戦へ。
こうすれば、手紙と電話が対比も崩さず両立するのではないか?
余談の余談、極めて脇道
エンドロールを見たとき……。
ユリス父 遠藤大智
ヴァ、ヴァルゼライド閣下!
ギルベルトとは、つまりはそういうことだったのか……。ガンマレイに撃たれたような衝撃であった。
というわけで、『劇場版クリストファー・ヴァルゼライド』の公開、首を⾧くして待っています。審判者よ、天霆の火に下るべし。アドラー万歳。総統閣下に栄光あれ!
※引用した全ての画像の著作権は、「京都アニメーション」及び「ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会」に帰属します。
公式リンク
『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト
http://violet-evergarden.jp/
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」公式サイト
http://tv.violet-evergarden.jp/
総統閣下ってどんな人?
http://www.light.gr.jp/light/products/vendetta_cs/cha/cha05.html
解説
https://w.atwiki.jp/vermili/pages/128.html